今日は、いつになく光が強い。ものの形や濃淡がくっきりと浮き上がってみえる。影になっている部分も、暗く潰れてしまわないで、濃い色として、はっきりその存在を主張している。
降り注ぐ光り。木陰に停まっている軽トラックの荷台の、くらいグレーの幌の、たるみやしわが、強い光ではっきり見える。木の葉の一枚一枚に、微妙にトーンの違う光が反射していて、それらがサラサラと風に吹かれてチラチラする。
午後。斜めに長く伸びる冬の影ではなくて、ものの真下に濃く貼り付いているような影。でも、風は北風で、まだ冷たい。今朝の天気予報では、日本海側は雪らしい。木の葉どうしが風で擦れてたてるサーッという音は、テレビの放送終了後のノイズの音に似てる。
ビニール袋が風に煽られて、階段をかけ上がる。冬の間もずっと濃い緑の葉をたっぷりたたえていたヤマモモの木の葉の緑も、今日は一層濃くみえる。ハクモクレンの枝に、点々と白いつぼみ。生け垣の、枝と枝との間にできる隙間から、その向こうに停車している車の赤がのぞいていて、その赤が強く前に出ていて、遠くから見ると、花が咲いているようにみえる。
緑地の方に下ってゆくと、独特の湿ったというか籠ったような匂いが鼻につく。冬の間はあまりこの匂いは目立たなかった。地面が湿っている。いつもだと枯れ葉を踏む時の、サクサク、パリパリする感じが、足をのせると、しんなり、クニャッと、足が沈む。下ってゆく途中にある、鉄の柵で囲われた小さな池の水量は、まだ少ないままだ。
『DAISUKI ! 』の最終回を、ついつい観てしまう。最近はほとんどこの番組を観ることはなくなっているのだけど、放送が始まった90年前後、ぼくはこの番組がテレビという場所に突然出現させてしまった、すかすかで、だらだらした時間の流れを、驚きをもって見ていた。
番組が長くつづき、人気も出て、3人のキャラクターや関係も安定して、お約束の企画が増えてくるにしたがって、初期の頃にあった、あの奇跡的にだらけた、テレビのなかの真空地帯(陥没地帯)のような、不思議な時間の流れがなくなって、普通の深夜バラエティになってしまったのだけれど。それでも、年に何回かは、かなり驚くべき出来の回があった。
最近のなかで突出していたのは、3人が多摩川沿いを海へ向かってツーリングする、という回。3人がどうでもいい事を喋りながら、ただひたすらに自転車を漕いでいるだけ。その映像も、それぞれの自転車に取り付けられたCCDカメラと、3人と並走する自転車の荷台に乗ったカメラマンによる、それもホーム・ビデオでの映像だけ。その上、いくら走っても、全然代り映えのしない、同じような河原の風景が続くばかり。徐々に3人のテンションも下がり、やる気もなくなってゆく。1時間の番組のなかで、変化したことといえば、天候がだんだん悪くなってゆくこと、疲労によって3人が少しづつ無口になってゆくこと、あたりが徐々に暗くなってゆくこと、まあ、そのくらい。もし、ドラマなんかだったら、幾つかの短いショットを積み重ねて、せいぜい2、3分で表現してしまうだろう情報量。でも、1時間、ただひたすらに自転車がはしっている。
しかも最後には、時間ギレで目的地に達しないまま、なんとなくあいまいに、流れ解散になってしまう、という脱力し切った結末。しかし、全くスカスカと言うしかない何も無い時間の、驚くべき充実していない充実感。中途半端で何も無い、しかしとても魅力的な時間。ここでは何かとてつもない事態が起こってしまっているのではないか、と、テレビを観ながらかなり興奮したのを憶えている。
この感じ、こういう時間の流れを、どうしたら掴み取ることができるのだろうか。というか、ぼくな何故こういうものをこんなに好んでしまうのだろうか。