電車のなかに、昔の人みたいな人がいた。昔風とか、70年代風とか、いうのではなく、30年くらい前の人が、タイムスリップしてそのまま現れた、みたいな感じ。
白いタートルネックのシャツ、紺のジャケット、チノパン、白いソックス、茶色のローファー、中途半端な長髪を、きっちり分けて撫でつけている。と、書いても雰囲気は伝わらないだろうけど。イメージで言うと、みやじおさむ、とか、青空球児・好児、とか、そんな感じ。顔も、どことなく、ゲロゲーロの人に似てる。年齢は30歳前後か。2〜30年くらい前の日本だったら、こんな感じの若者が普通に闊歩していただろう、という感じ。だから、70年代の青春時代をいまでも引きずっている、ということではないだろう。
センスが古い、というのとも違う。なんか、その人だけ違う時間の流れのなかに住んでいるのではないかと思わせる。普通といえば、すごく普通の人で、別にこれといって変なところは何もないのだけど、かなり混んだ電車のなかで、どうしてもそこに目がいってしまう。
例えば70年代の風俗を忠実に再現して、そういう服を着たとしても、それを着ている人が現代の人なら、やはりどこか現代的な感じになってしまうだろう。でもその人は、まるで昔の写真を強引に切り貼りしたかのように、そこに居たのだった。
現代の東京に住んでいれば、少しくらい派手だったり、エキセントリックだったりしても、たいして驚きもせずに、すぐに目が慣れてしまうのだろうけど、その人の発する違和感は、いつまでも残った。なんでもありの時代に住んでいるように思っていても、場とか、視線とかって、結構排他的なものなんだなあ。
アラン・ロブ・グリエ『囚われの美女』。83年フランス映画。あまり良く知らなかったけど、ロブ・グリエってこういう人なんだ。これってあまりシリアスに観るような映画じゃないですよね。一種の吸血鬼物というか、ホラー物。結構、ゆるい感じの映画。でも、決して退屈な訳ではなく、笑って楽しめてしまう。まあ、モンドと言ってもいいんじゃないだろうか。こういうヨーロッパ的な文化的な香りがしてしまうものを、忌み嫌う人もいるだろうけど、これば別に高級なものなんかではなくて、たんなるエロおやじの妄想みたいなものだし、それもあからさまに凡庸で類型的なものだ。ロブ・グリエは勿論そんなことは百も承知で、それを大人の余裕と、中年のずうずうしさでもって、堂々と押し切ってしまう。
『去年マリエンバードで』(これって何年だっけ?)のような、緊張感のある前衛性はもはや全く無くて、良い意味でも悪い意味でも、中年男性のたるんだ腹の肉を思わせるような映画。こういうのが好みの人にとっては、たまらなくセクシーだ、ということになるのだろう。たるんだ、だらしなさの魅力。