08/04/24

●『コンナオトナノオンナノコ』(冨永昌敬)をDVDで。悪くはないと思うし、さすがだと思うところは多々あるけど、全体としては中途半端な感じ。『パビリオン山椒魚』が派手にスベってしまったので、職業的な映画監督として、このくらいのことはちゃんと出来るんですよということを示した、というようなもののように感じられてしまった。与えられたネタを料理した、というか。
イデアというか、小ネタというか、そういう次元で冴えた感じがあるのに、それが作品全体の構造に絡んでないから、小ネタが小ネタでしかない、という風にみえるのだと思う。特にナレーションがそうで、こんな風に中途半端に冨永調のナレーションを入れる必要があったのだろうかと思う。「亀虫」とか「ヴィクーニャ」とかでは、ナレーションの過剰こそが(言葉こそが)作品を動かしているという感じすらあったのだが、ここではたんに装飾的な過剰さしかなくて(言葉自身が独立した系として成り立つほどではなくて)、この監督は画面に自信がないから言葉を被せてるんじゃないか、という風にみえてしまう。音楽も、使い過ぎで効果が薄れるというか、中途半端にうるさい感じ(音楽それ自体はかっこいいのかもしれないけど)。主人公の女性が、同僚と大して望んでないけど他にいないからという感じでセックスしていて、しかしその同僚もまた途中で観たいテレビ番組のためにそそくさと帰ってしまい、ベッドでふてくされたまま朝を迎えるという場面の背景に音楽が流れているのだが、この場面など特に音楽がすごいうざいというか、邪魔な感じがした。ナレーションにしても音楽にしても、どちらも、徹底してやるのかやらないのかどっちつかずで、手数が中途半端という印象。
玄関入ってすぐ左にある狭い部屋(別れた恋人が同居していた部屋)がゴミ置き場みたいになっていて、そこに捨てたトウモロコシが育ってゆくという、いかにも冨永監督っぽいアイデアも、アイデアとしてはすごく面白いのに、作品の一部としてはいまひとつ生かされてなかったように思う。あと、冨永監督は広い空間というか、引いた画面が撮れないという弱点もけっこう露呈された感じで、いなくなった子供をみつけた夫婦が帰る途中にタクシーのなかから川を見るシーンで挿入される、夜の川面のカットは、ちょっとそれはないんじゃないか、こういうところをもっとちゃんとみせてよ、という感じだった。ただ、狭苦しい室内空間とか狭い庭とかの撮り方は相変わらず面白いと思う。(冨永監督には、部分的にはすごく冴えた撮り方をしているのに、別の部分ではかなり凡庸なことを平気でしてしまう感じもあって、長編一本分をちゃんと持続し切れていない、というところがちょっとあると思う。)
女優の撮り方というか、画面のなかでの女性の動かし方というか、そういうものに、冨永監督にしか出来ないなにかがあるようには感じられた。シネフィルぶった言い方になってしまうけど、下着姿の女性(つまり、ちょっと気を抜いた時の感じ、ということなのだと思う)を魅力的に撮れる監督は、才能があるのだと思う。(逆に男性は、俳優のキャラに頼り過ぎとも思えた。)でもこの感じは、この映画のような(二人の主人公の対比みたいな形で、割ときっちりと、図式的に構成されたような)物語、題材ではなく、もっと別の、(どっちに転んでゆくのか、とらえどころのない感じの)冨永監督に資質にあった題材でこそより発揮されるのではないかと思った。与えられた題材であったとしても、もっと自分の資質の方へ引き付けてしまってもよかったのではないか、と。