マルコ・ベロッキオ『新肉体の悪魔(蝶の夢)』をビデオで

マルコ・ベロッキオ『新肉体の悪魔(蝶の夢)』をビデオで。(『蝶の夢』を『新肉体の悪魔』というタイトルでビデオにするのは、どうかと思う。)『夜よ、こんにちは』がとても素晴らしかったので観てみたのだが、これはとことんかったるい映画でしかなかった。完全に道を誤っているとしか言いようがない。すごくかったるくて、あーあと思いながら観ていると、時々、はっとするような良いショットがあったりするのだけど、それで映画が生き生きとしてくるのかと言えばそんなこともなく、またすぐにかったるい流れに落ち込んでしまう。ただ、時々あらわれるはっとするようなショットやシーンは、ベロッキオの映画作家としての力量というか、才能を感じさせるに充分で、何と言うのか、ただ方向を失っているだけで、切れが鈍っているというわけではないのだということを示しているように思う。しかしこんな風に思うのも、先に『夜よ、こんにちは』を観ているからで、いきなりこの映画を観たら、この監督の映画は二度と観ないだろうなあ、と思うだろう。(たんにカメラマンが良いということなのかも知れないし。)
母親がはじめて出て来る、窓際の机に腰掛けるシーンの母親の佇まいとか、兄夫婦が海岸で話しているところの遠景にジプシーたちの車がフレームインしてくる呼吸とか、言葉を喋らず誰にも心を開かない弟が唯一心を許す女性と過ごす室内のシーンの光りのうつくしさとかは、本当に素晴らしくて(全体として室内の光りがとてもうつくしい)、ああイタリア映画だなあと感じ、何故こういうものだけで映画が構成されないのかとイライラして来るのだった。中途半端に演劇的で、中途半端に精神分析的で、中途半端に文明批判みたいな要素があって、結局何がやりたかったのかさっぱり分らない映画になってしまっていた。