●『ミスター・ロンリー』(ハーモニー・コリン)をDVDで。昨日観た『ダージリン急行』が素晴らしかったので、その勢いで観たのだが、これはぼくには退屈だった。全体に甘ったるくて感傷的で、細部の脆弱さを、その感傷によって押し流そう(誤摩化そう)としているとしか思えなかった(弱さそのものを、肯定的なものとして捉えようとしているとは、到底思えなかった)。ハーモニー・コリンという人はもともとそういう人なのだろうけど、以前の作品はもっと堂々と「困った人」ぶりを発揮していて、それによって細部が立っていたと思うのだが、困った人度が後退すると、甘さと弱さが前面に出てしまうということだろうか。
ヘルツォークが演じている狂気じみた神父が(俳優としてのヘルツォークは監督としてのヘルツォークよりずっと面白いと思う)、飛行機の前で、花を持っている男に向かって、お前、オレのこの飛行機を勝手に使うなよ、とか言っていて、そのうち、お前なんでいつも花を持ってるんだ、奥さんのためだろ、とか言い出して、お前の妻と娘が出て行ったのはお前が浮気したせいだということを知ってるぞ、ちゃんと懺悔しないと帰ってこないぞ、と、強引に懺悔させてしまうシーン(このシーンは前後の脈略と関係なくいきなりある)と、その飛行機を飛ばして、貧しい地域に食料を投下している時に、その作業をしているシスターの一人が飛行機から落下してしまうのだが、その唐突な落下と、にもかかわらず何故か無傷で助かってしまうシーンの展開はすごく面白くて、もしかしたら面白い映画なのかも、と期待したのだが、面白いのはそこだけで、その、落下したのに無事だった、という事が、奇蹟のようなものの象徴として繰り返し映画にあらわれたり、最後に、シスターたちの死体と飛行機の残骸が意味ありげに海辺に打ち上げられているシーンなどがあらわれたりすると、うんざりするというか、しらけてしまう。
この映画に出て来るマイケル・ジャクソンマリリン・モンローチャーリー・チャップリンの「そっくりさん」は、オリジナルと全然似ていなくて、彼らはモノマネ芸人というよりはたんなるコスプレイヤーで、この映画はむしろ、その「似ていなさ」によって成り立っている(彼らはイメージというよりアイコンだから、正確に似ていなくても、それっぽければOKなのだろうが)。その中途半端で微妙な「似ていなさ」(マイケルが、マイケルに成り切っていないというブレ)が、かろうじてのこの映画の面白さでありリアリティなのだと思うのだが、しかし、そのリアリティ(弱さや、中途半端さそのもの)に、この映画は最後まで忠実でいることは出来ていないと思う。つまり、弱さそのものに忠実に成り切れていないという「弱さ」が、この映画を退屈にしている(マイケルのパートの弱さを、シスターのパートを「意味ありげ」にすることで誤摩化そうとしているとしか思えないのだが、意味ありげにすることで、シスターのパートの面白さまで殺してしまっている)。