⚫︎『愛と平成の色男』(森田芳光)。なんとなく観始めて、最後まで観てしまった。バブル最高潮の平成元年(1989年)公開の映画。
面白かったとまではいえないが、思ったよりも嫌な感じはしなかった。当時の石田純一のパブリックイメージをそのままなぞっただけのような主人公が出てくる軽薄な映画だが、ここまで意味のない、ここまで薄っぺらであることを貫けたということが、当時の「日本の芸能界」の重力を考えると、それだけでかなり頑張ったということではないかという感じがする(いや、とんねるず主演の『そろばんずく』(1986年)などを考えると、当時の森田芳光としてはこれが通常運行だったのかもしれないが)。
観ているとまず、バブル当時の日本と今の日本の違いを感じるのだが、もしかすると今でも「お金を持っている人たち」の世界はあまり変わっていないのかもしれないとも思えた。今のフジテレビのことなどを想起しながら。
おそらく、軽やかで洗練されたナンセンスコメディのようなものが目指されているのだと思う。それは、基本として軽薄でありながらも、中途半端に「ドラマ」や「感動」を盛り込もまずにはいられないテレビの(当時の)「トレンディドラマ」への批評的態度であり、抵抗であろう。この映画からは、(トレンディドラマで活躍するのとほぼ同じキャストを起用しながらも)トレンディドラマのようなものにだけには決してすまい、という気概(野心・志し)が感じられる。そのためには、主人公は徹底して重みのない(あるいはリアリティのない)、軽薄で薄っぺらな女好きでなければならない。それを、ここまで徹底してやり切れるのは、「当時の日本の芸能人」では石田純一以外はいなかったと思われる。その意味で、石田純一という俳優は「当時の芸能人」としてはそれまでにない新しいタイプだったのだと、改めて思う。ここまで、薄っぺらで、かつ、嫌味なく「色男」であることができる人は他にはいない。
中途半端な重みから脱することのできないトレンディドラマに対して、軽さと薄さを徹底できたという意味では「当時の日本の芸能界」の重力を吹っ切ることができている映画だと言えるが、それでも、全体の雰囲気や作りにかんしては、「当時の日本の芸能界」の重力から十分に脱することはできていないとも感じる(「あまりに芸能界内的な映画」でもある)。これは(時期としてはこれより少し前の86年の作品だが)大林宣彦の『四月の魚』を観た時も思った。洗練された軽やかなナンセンスを実現しようとすごく頑張っているのだけど、「当時の日本の映画界・芸能界」にはまだ、それができるだけの「文化的土壌」のようなものがなかった。監督や脚本、俳優の力量というだけでなく、映画界・芸能界、あるいは文学界の存立基盤のようなものまで含めて、そこからそれはどうやっても出てこない、みたいな状態だったのだと思う。そういう中で「闘って」いる。
「色男」である石田純一の職業が歯科医で、患者がみんな若い女性であるという設定や、色々な女性に手を出す石田が、関係に行き詰まるといつも「妹」のところに逃げ込み、様々な女性と関係を結んでは別れていくが、最終的には(性的な関係になることが決してない)兄と妹の関係だけは永遠だ、みたいな落としところになっている「コメディ」としての基本構図は、構図それ自体としては面白くて、さらに詰めて考えて、上手くやれれば、もっと面白いコメディになり得たポテンシャルが感じられ、惜しい感じは、どうしてもする。
(お金があって暇もあるバブリーな職業という文化記号的な側面としての歯科医と、女性の口の中を診察するというエロティックな側面としての歯科医。)
今だったら、もっと上手く作れる人がいるのではないか。しかし、今の時代には石田純一のような「色男」は存在しないのだ、と思い直す。いや、当時だってリアルにはそんな人はいなかっただろうが、少なくとも「石田純一という俳優=芸能人」は存在した。この映画は丸ごと「石田純一という俳優=芸能人」のための当て書きであり、企画であり、「芸能人としての石田純一」という存在に依存しているのだから、石田純一的俳優が存在しない現在では、そもそも成り立ちようがないのか。
(だからそもそも、「日本の芸能界的重力」から脱することはできない、のか……。)
この映画での石田純一の「軽さ(軽薄さ)」の徹底を、もっと洗練させた形で実現できる俳優は、今ならいると思う。だけど、石田純一的な「色男」を体現できる俳優は、今はいない。それはもうすでに過去のものだ。
(「愛と平成の色男」は「日本一の無責任男」のパロディーでもあり、高度成長期の無責任男=植木等に対する、バブル期の色男=石田純一である。森田芳光のこの見立ては鋭いが、作品の質として「無責任男」と同等とまではならなかった。「無責任男」シリーズのような「平成の色男」シリーズが生まれなかったのは、多くの観客が、洗練されたコメディアンとしての石田純一ではなく、トレンディドラマでキュンキュンさせてくれる石田純一の方を望んだからでもあるだろう。)