●今まで観る機会のなかった『四月の魚』(大林宣彦)がYouTubeにあったので観た。映画として素晴らしい出来とは言えないが、大林宣彦のフィルモグラフィとしては重要な作品だと思った。
公開は86年だが、作られたのは84年だという(Wikipedia)。おそらく、お蔵入りになりそうなところを、85年の『さびしんぼう』の大ヒットがあって復活したとか、そういう感じなのではないか。この時期の大林は、『転校生』、『時をかける少女』、『さびしんぼう』を作って、評価も爆上がりで、キャリアの中で最もイケイケだったと思われる。だがそれでも、大作志向に行くのでもなく、評価されている作風の更なる洗練へ向かうのでもなく、ヒット作や企画ものを手がける傍ら、傾向の異なる(様々な傾向の)小さめの映画を作っていくという方向に行く。
『四月の魚』は、ウェルメイドで洗練された(ものを目指した…)、大人向けのシチュエーションコメディとでも言えるもので、これ以前にも、これ以降にも、大林はこのような傾向の作品を他には作っていないと言ってもいいのではないか(ネタ元はビリー・ワイルダー『ねえキスしてよ』か?)。観客としてはずっと好きだったが、作家としては全く未経験のものを、今ならやれると思った、のではないか。
だが、この作品そのものというよりも、この時代の日本映画の限界のようなものを感じもする。例えば、洒落たシチュエーションコメディを作ろうとする時に、原作としてジェームス三木くらいしか選択の余地がなかったというのがまずキツい。今だったら、もっと洗練されたものを書ける劇作家とかが、探せばけっこういそうだ(「キング・オブ・コント」の洗練を見れば、この分野の進歩は著しいと思う)。あるいは、「酋長」の役に丹波哲郎をキャスティングして、そのキャラや勢いに頼って押し切ろうとしていることは、洒落たシチュエーションコメディと整合的でないように感じる。この役は、勢いではなく、もっと精密に設計されるべきだったのではないかと思う。とはいえ、当時の日本の芸能界では、それが出来そうな人はいなかったのかもしれない(でも、常連である峰岸徹の方が良かったのではないかとは思う)。
高橋幸宏を主演に据えれば、日本でも洒落たシチュエーションコメディが可能ではないかというアイデアは面白いし、高橋幸宏だけをみるとすれば、それはけっこう成功しているように思う。湿り気のない飄々とした軽みにしても、被写体としての面白さにしても(観ながら「顔がいい」というのはこういうことなんだな、と何度も思った)、大林がこの映画を撮りたかった気持ちが納得できる。当時の「日本の芸能界」には、この感じを出せる人はいなかっただろう。ただ、それ以外の条件がまだ十分には揃っていなかったのだと思う。
そういう意味で、この時の大林は、かなり困難なことに、おそらくその困難を承知で果敢に挑んだのだと思う。この、無謀とも言える守りに入らない姿勢が、晩年の驚くべき作品群にまでつながっているのではないかと思った。
(また、共演の、今日かの子という人がとても良い。うまい表現が見つからないが、美保純的な良さがある。美保純以外の人に、美保純的な良さがあることは稀だ。この人は、ほぼこれ一本しか映画に出ていないようだが、とても惜しい。)
(高橋幸宏が時々、オードリー春日の「鬼瓦」のような顔をするのが面白い。)