2022/10/26

●今、配信ではトリュフォーの映画がほとんど観られない。ぼくが知っている限りでは、U-NEXTで『アメリカの夜』が、アマゾンで『華氏451』が観られるくらいだ。これはどちらも、最も優れたトリュフォーという感じの作品ではない。前はNetflixで『柔らかい肌』とか『恋のエチュード』が観られたこともあったが、今は観られなくなっている。

アマゾンで『華氏451』を観た。これは、お話はあまり面白くないのだけど(ディストピアものとしてはありふれている、しかし、この「ありふれたディストピア」がけっこう「現在」を予見してしまってもいるが…)、ひたすら美しいカラー映画だ。ニコラス・ローグによる撮影も美しいし(ニコラス・ローグの赤の質感)、小道具やその配置、美術なども美しい。鮮やかなのだがしっとりしている画調。特に最後の、「本の人々」のコミュニティの場面の森の撮影の美しさ。

(66年の映画だが、この前年にゴダールが『アルファビル』を作っていることの影響もあるのだろう。クールなモノクロの未来都市に対して、この鮮やかなで柔らかなカラー。)

「本を焼く」映画だが、焼くために本にオイルをかける描写や、焼けた紙が花びらのようにくるっと反り返る描写をみて、パラジャーノフの『ざくろの色』をちらっと連想した。「物」としての紙の本(あるいは、文字の書かれた紙)へのフェティシズムヌーベルヴァーグに広く見られると思うが、トリュフォーがこの原作を映画にしようと思った動機の中でもそれがけっこう大きいのではないか。

(最初の方で、リンゴを齧りながら逃げた人が、最後の「本の人々」の森のなかでもリンゴを齧っている。そういう細部もいい。)

(職場で主人公といがみ合っている同僚が、主人公の不適切な行いを度々目撃するので―本を鞄にしまって持ち帰ったり、具合が悪いと嘘をついて外で女性と密会していたり―、きっとこいつが密告するのだろうと思うのだが、結局この人は最後まで密告することはない。いかにも嫌な奴そうに描かれているが、けっこういい奴、みたいな、そういうスカし方もいい感じ。)