2022/10/27

●U-NEXTにあったのでなんとなく『去年マリエンバートで』(アラン・レネ)を観た。今、観ると思いの外シンプルな映画だが、時系列的な展開と「現在時」の特権性を剥奪して、「今」が、進行する出来事=世界の最先端ではなく、「この今」も「このわたし」も、何度も反復される(あるいは、複数並走する)出来事のなかの任意の一点にすぎないという状態を作り出して、空間的な迷路ではなく、時間構造そのものを(あるいは、空間/時間と分けられない、時空構造として)迷宮化するという作品構造を、おそらく映画としては一番最初に、明確に示したのがこの作品なのだろう。全てが一望できる、あるいは格子状に交差していて迷いようのないグリッド的な空間を迷宮にするには、時間を迷宮化することだ、と。

それによって、「この今」「このわたし」「この現実(この世界)」の唯一性が揺らぎ、「別の今」「別のわたし」「別の現実(別の世界)」と等価な(代替可能な)ものにまで価値を低下させられる。「この今」から薄皮一枚隔たったところに「別の今」があり、「別の別の今」もあり、「この今」はその「別の今」たちに対してなんら優位性を持たない。さらに、その「別の今」を時系列上に配置できない(時系列が迷路化している)。「別の今」は、「(もう一つの)今」なのかもしれないし、「過去」なのかもしれないし、「未来」なのかもしれない。

ロブ=グリエの場合、それは性的なものと強く結びつきつつも、紋切型的=惰性的時空(たとえばブルジョアの不貞の場)で起こることによって多分に遊戯的な色彩が濃くなる。