●『風にそよぐ草』(アラン・レネ)をDVDで。なんかリヴェットが撮る映画みたいな話だな、と思った。
晩年のレネは、これ以外では『恋するシャンソン』と『六つの心』しか観ていないけど、なんというか、ぼくにはあまり面白いと思えない(とても中途半端にみえる)のだけど、でも、この、何をしようとしているのかイマイチよく分からない感じが、面白いという程ではないにしろ、どこか気持ちに引っかかりつづける。
例えば、この映画で最もミステリアスなのは主人公とその妻との関係、あるいは主人公とその家族との関係で、もしリヴェットの映画なら、主人公とヒロインの関係だけでなく、主人公と妻や家族との関係、あるいは主人公とヒロインの同僚の関係をアラベスク的に展開させて迷宮的な世界を展開してゆくだろうと思う。そしてそうであれば、主人公と妻との関係の不可解さが作品のなかで効いてくる。しかしこの映画では、本筋はあくまで主人公とヒロインの関係であって、それ以外は背景的に処理されている。つまり「気になる細部」的扱いなのだけど、しかしそれにしては、主人公と妻との関係は意味ありげでありすぎるように思う。意味ありげでありすぎるにもかかわらず、効果としてはあまり効いていないように思われる。あるいは、最初の方で主人公の過去に関する仄めかしが示されているのだが、これも、過剰な割にはあまり効いているように思えない。このような、作品内での諸要素の配置のバランスが、どのような意図や感覚で決まっているのかがよく掴めないというか、よく分からない。洗練された恋愛ファンタジーのようなものを目指しているのか、あるいはリヴェト的な迷宮的世界を目指しているのか、あるいはもっと別のものが目指されているのか、よく分からない。この分からないところに、ちゃんと受け取れば何かありそうな気もするので、さほど面白いとは思えないものの、気になってしまいもする。
いや、考えてみればそもそも、主人公とヒロインの関係だって相当不可解なのだから、別に主人公とその妻や家族の関係が不可解だとしても、別にバランスが悪いわけじゃないとも言える。しかし、その不可解さを、「不可解さそのものの感触」として提示しようとしているのか、それとも、不可解さをファンタジー的なマジックによって「納得させようとしている」のか、そのどちらに振ろうとしているのかが見えてこなくて、中途半端な感じがする。だか、どちらともいえないその中途半端さそのものこそを提示しようとしているのかもしれない。
この映画の独自のタッチは、ラストのショボさによく表れていると思う。取るに足りない、笑えない笑い話のような出来事(間抜けなのだけど、間抜けさが中途半端過ぎる)が、悲劇としてでも、残酷な喜劇としてでもなく、ふわっとした仄めかしによって描かれ、そのままなんとなく流れるように終わってしまう。えっ、これで終わりなの?、という何ともいえない「納得できない感」こそがこの映画であり、晩年のレネであるように思う。そしてぼくには、この「納得できない感」をどう受け止めてよいかよく分からない。
●主人公はいわば、イケメン・ツンデレ・ストーカー・ジジイで、やっていることはまったく自分勝手で強引で他人の事情などまったく考えていないことばかりなのだけど、見栄えのいい年寄というか、歳月の重みを湛えたイケメンの哀愁漂うツンデレの効果は非常に強力で、誰でもどこかには開いているだろう心の隙間にその効果がすっぽりハマって、最初は拒否していた女性をすっかり虜にしてしまうのだった。やはりツンデレは強いのだなあと思った。
●晩年の作品の不可解さに比べれば、『去年マリエンバートで』や『ヒロシマモナムール』はずいぶん分かり易い。