鈴木清順『悲愁物語』

鈴木清順悲愁物語』をビデオで。この映画が凄いなんていうことを今更言ってみてもしょうがないのだけど、改めて観て思ったのは、この映画の(鈴木清順の映画のなかでも特異的な)凄さを映画作家としての鈴木清順の「作家性」に還元してしまうのはあまり面白くなくて、その凄さは映画というメディアの「不純さ」にこそあるのではないかということだった。(映画は集団製作であって「監督」によってだけつくられているのではない、というような一般的な話ではなくて、この映画に限っての話として。)単純に考えてこの映画には3人の作家がいて、企画をたてた(製作者の一人でもある)梶原一騎と、脚本の大和屋竺と、監督の鈴木清順というその3人の「噛み合なさ」が、この映画の特異性をかたちづくっていると考えられるのではないだろうか。ゴルフ、スポ根、お色気に加えて、ちょっとした社会派風のネタを織り込んで一丁上がりというような、オヤジ向け週刊誌の記事のような梶原一騎の企画を、大和屋竺がその独自の観念的なロマンチシズムのようなものの方向へ持ってゆこうと変形し歪ませ、そして鈴木清順は、他の二人の作者たちの「狙い」などとは無関係に(しかし恐らく、この仕事はやりにくいという居心地の悪さを感じつつ)、脚本を字義通りに読み込みつつ自分の仕事に徹する。そのような状況で、おそらくこの3人の作者たちの誰にとっても「納得のいく」ものではない作品が出来上がってしまったと思うのだが(しかし最も納得がいかないのは、ようやく女優としてデビューを果たすことが出来た映画が「こんな作品」だった主演の白木葉子なのかもしれないけど)、その3つの焦点のブレによる納得のいかなさこそが、この作品がある種の観客を魅了しつづけて、無限のインスピレーションを人に与えつづけている原因なのではないだろうか。鈴木氏は日活でずっとお仕着せの企画でプログラムピクチャーを撮りつづけていたのであって、そんなことはこの映画に限ったことではないという反論もあり得るかもしれないが、しかし、日活という会社のなかで、安定したプログラムピクチャーの体制で「お仕着せ」られるものと(安定した場で、題材と自分自身との距離を測定するのと)、そのような体制の外で、梶原一騎のような人と鈴木清順のような人との(あり得ない)出会い(損ない)が実現してしまう状況とでは、その意味が大きく異なると思われる。脚本の大和屋竺は具流八郎のメンバーなのだから鈴木氏に近い位置にいて、この二人の間の緩衝帯と成り得る立場なのかも知れないが、(出来上がった作品から推測するしかないが)その脚本のもつ過度に観念的な性格は(例えば『ツィゴイネルワイゼン』などで主に関係を操作してゆくことに主眼を置く田中陽蔵の脚本などに比べても)、鈴木氏とは相容れない感じがある。
作品としての価値とは別に、たんに資本主義的な商品としてみた場合、この映画はあきらかに商品を生産する過程での管理を失敗しているのであり、その失敗の責任がどこにあるのかもよく分からないのだ。映画をつくるには多くのお金が必要であって、必然的に多くの人がそれぞれの思惑でそこに関わってくるという「不純」さが、映画の作品としての、あるいは商品としてのあり方をコントロールし責任を持つべき主体の存在を曖昧にしてしまうことがあるのだろう。(この映画には製作者としても5人の名前がクレジットされている。)まさに無責任の体系とも言うべきそのような状況の混乱のなかでしか、『悲愁物語』という作品は生まれなかっただろうと思われる。勿論、状況が混乱していさえすれば良いということは全くないだろう。この映画は一面ではやはりまぎれもなく鈴木清順の映画(作品)であり、混乱した状況のなかでも、鈴木氏が誰の「狙い」(あるいは「狙い」の不在)とも無関係に(あるいは、「題材」との距離の設定が困難な場であるに関わらず)淡々と自分の仕事をやり切っているからこそ、逆に、作家としての「鈴木清順」という名前に決して還元出来ない、ある時代、ある状況の混乱の固有性が(ある「貴重なもの」が)、その作品に生々しく刻みこまれることになったのだと思う。そのような意味で『悲愁物語』は他の清順作品と交換不可能な特異点となるような作品なのだと言える。