●「良くないリズム」は一度はまると結構定着してしまう傾向があり、それを変えるのは厄介なことだが、事態を動かしてゆくには、まずそのリズムこそを意識的に動かそうとしなければいけないのだろう。ただ、経済的な余裕のなさというのは、その時に取り得るやり方の幅をかなり狭いものにし、「動き」を困難にする。(余裕がないと、冷静になってまわりをみまわすために「立ち止まる」ことが、まず困難なのだ。立ち止まると、たちまち経済的に破綻するから。)貧乏であることの「貧しさ」というのは、そういうところにあらわれるのだなあと、この歳になってから気づくというのも、どうかと思うけど。
貧乏っていうのはつまり、入って来たり、出て行ったりするお金の少なさのことではなくて、「蓄積」されたものの少なさのことで、だからいろいろいなことが、まあ、なんとか「回っている」時には貧乏でも(自転車操業でも)大して問題はないのだが、現状にいろいろと不都合が生じた時に、その状況に働きかける時にものをいうのは(経済的なものに限らず様々な意味での)「蓄えられたもの」で、それが乏しいと立て直すのが困難になり、その時になってはじめて、「この10年間、一体何をやってきたんだ」ということに思い至る、という、何をいまさらという、愚かな話ではあるのだった。
●コンビニで、万引きして捕まった男と店員(店長?)とのやり取りが耳に入った(と言うより、思わず聞き耳をたて、聞き入ってしまったのだが)。男は店員に問われ38歳(ぼくと一つ違い)だと口にしていて、学校を出てから一度もちゃんと働いたことがないらしい。ずっと全国をふらふらと放浪しながら生活していて、それでも、20代の頃は、お金がなくなると適当にバイトしてしのぎ、その仕事先はいくらでもあったのだが、最近ではそのような仕事もなく、住所も不定で、もっぱら万引きなどで生活しているらしい。とはいえその男は、服装もこぎれいで、異臭もなく、髪もさらさらしていて、つまり路上で寝起きしているとは思えず、何かしらの手段(置き引きとか、スリとか?)で現金を調達して、簡易宿泊所なりカプセルホテルなりで寝起きしているのだろう。万引きで捕まることにも慣れているらしく、店員とのやり取りもへらへらとしていて(感情の起伏を感じさせないフラットな表情で)、そのことに店員は相当いらだっている様子だった。あなた全然悪いと思ってないでしょう、と言う店員に、そりゃああ少しは思ってますけど、生きて行くために仕方ないんでね、と答える男。店員は、あなた昨日もウチの店でうろうろしてたでしょう、他にウチで何盗ったの、と問いつめ、男は、いやあ、ここでは、これしか盗ってませんよ、と答える。信用出来ると思う、とさらに問い詰める店員に、いや、まあ、それは無理でしょうね、と薄ら笑いを浮かべる男。この薄ら笑いに店員はキレそうになっていたのだが、ぼくにはこの「薄ら笑い」がゾッとするほど「リアル」に感じられた。おそらくこの男は、このような「薄ら笑い」によってしか世界と触れ合う接点を持ち様がないのだろう。
ぼくはこの男と同世代だから思うのだが、この男が高校なり大学なりを出た頃はバブルの絶頂で、一方で「成り上がる」ことを目指す野心家がはびこっていたのだが、もう一方では「生活のために働く」ことを限りなく軽く考えることが可能だった。だからこの男のような生活を選ぶのも全く不自然ではない。しかし、いつの間にか決定的に世界のあり様は変質したのだ。その変質に気づかなかったのか、気づいても対応しようがなかったのか知らないが、その変質への対応をひたすら先送りにしているうちに、どんどんと追いつめられ、身動きのしようがなくなる。そのような状況に追いつめられながらも、鬱にもならず、全くの無気力や不活性へと落ち込むこともなく、身の回りをこぎれいにしておく程度の快、不快の感情をを維持しつつ生きてゆくためには、「薄ら笑い」によって世界(現実)と接し、状況に処するというスタイルを身につけるしかなかったのだろうと思う。この男には、なまじ問題を先送りに出来るだけの才覚(今でも身の回りをこぎれいにしておける程度の才覚)があったからこそ、ますます身動きのとり得ないところ(あの「薄ら笑い」)まで行ってしまったのではないだろうか。これはまったく他人ごとではなく、まるで自分の姿を観せつけられているような切実な問題なのだ。(あらかじめ「貧しい」状況を強いられ、ゆえに現実に対して聡明な態度をとり得る最近の「若者」に比べ、ぼくが、いかにぼんくらで駄目かということを思い知らされもする。)この男の「薄ら笑い」には、ぼくにとっては本当にゾッとするほどの嫌なリアリティがあったのだった。