●1987年から1992年という時期はちょうどバブルの絶頂と重なっていて、きわめて浮ついていた時期で、今からみるとなんとも遠く隔たりがあるようにも感じられるのだが、この時期に中沢新一がいろんな媒体に書き散らした短めのエッセイをまとめた本(出たのは92年)に、『ケルビムのぶどう酒』『ゲーテの耳』というの二冊(二冊で一組のような本)があって、この、時代の雰囲気と中沢氏の資質とがぴったり重なり合ったような、なんともいい加減でインチキ臭い本をぼくはとても好きで、それをパラパラ読み返していた。(この二冊を読み返したのは、ちょっと期待していた『アースダイバー』がつまらない本でがっかりしたからなのだが。)中沢氏の説く「理論」は、ぼくにはまったく退屈なものとしか思われないのだけど、その文章にきらびやかに撒き散らされる「嘘くさいお話」からは、ダイナミックな(あるいは繊細な)運動感(あるいは振動)のようなものが感じられ、そこからは、中沢氏の身体が、地球という空間のなかを移動し、さまざまな環境やものに触れて、揺らいでいる感触が、(そのお話自体はつくりものだったとしても)なまなましく感じとれるのだった。
●例えば『ゲーテの耳』に収録されている「水の中のメデューサ」というイスタンブールについて書かれたエッセイ(というより、ほとんど小説、というか、法螺話)は、次のように書き出されている。
《この街についてからというものずっと、ぼくは船酔いに似た、奇妙な感覚にとりつかれていた。地面がいつもかすかに揺れ動いているような感じなのだ。ぼくのからだに組み込まれている生物磁石計の針でさえ、この街では正確な方位を指ししめさなくなった。地図でみると、こんなにわかりやすい街はないはずなのに、おかれげで、ぼくはここでしょっちゅう方向をまちがえ、道を失い、もと来たところにもどってきたり、いきなり目的地とは反対の海岸に出てしまったり、方向感覚の自信までぐらついてしまっていた。》
この「水の中のメデューサ」というエッセイはとても魅力的なものであると同時に、この書き出しの部分は、この二冊の本に収録されている無数の断片を読み進めてゆく時に感じる感覚をあらわしてもいる。(雑多な断片を集めたこの本には、にも関わらず初出一覧のようなものが全く示されていない、というのも、このような感覚を生む一因かもしれないが、勿論、それだけでなく「内容」のせいである。)このような浮遊した感覚は、中沢新一という人の身体に特有なものでもあるのだろうが、それは同時に、バブリーな時代に特有のそれと同調したものでもあるだろう。
●今回、パラパラとページをめくっていて、『ケルビムのぶどう酒』で次のような部分に突き当たった。これは平出隆の詩について書かれた「この完璧の鈴を振れ」というエッセイの一部分。
《ヴィルター・ベンヤミンは、人間が歴史に縛られた時間的な生き物であることを、ぎゃくに豊かさの条件につくりかえてしまおうとした人だ。彼はいまを生きながら、同時にけっして実現されなかった過去を生きることこそが、人間の生に豊かさと優しさをもたらすのだということを、よく知っていた。彼は過去に生きた人々の夢とともに、いまを生きようとした。いちども実現されなかった死者たちの夢としての過去。過去においても未来の時間に属し、いまにおいても未来に投げかけられたままの時間を生きることは、その人間につねに未来=過去であるような不思議なアナクロニズム(脱時制)の時空を開く。伝統的であるとともに永遠の未来主義であり、すでに死んものたちの棺の横に立つ死の法官であるとともに、いまだ生まれでないものたちのたましいのDNAであろうとしつづけるもの。ユダヤの預言者たちは、その時制のうちにたたずみつづけようとしていた。過激なアナクロニズム。ぼくには、それが平出隆の詩によって立つ場所のように思えてならないのだ。》
ここで、ベンヤミンや、ユダヤの預言者、平出隆というところに過度にひっかかると(あるいは「DNA」という比喩の安直な使い方にひっかかると)、調子の良い、ペダンチックな戯れ言のように読めてしまうかもしれないのだが、そういうところを一旦保留して、中沢氏の言っていることの流れを読むのならば、ここで言われている「未来=過去」であるような時制(脱時制)ということがらが、とても重要で興味深いもののように思えてくる。そしてそれは同時に、この、あまりにバブリーな空気と同調したふわふわとした断片たち(断片たちの乱反射)で出来たこの本が、今読んでも面白く、活き活きとしたものと感じられることの理由を示している、とも読める。
●この二冊の本は、今はもうなくなってしまった、駅前の小さいけど品揃えの面白い古本屋で買った。ぼくが、大学に入って今住んでいる近所に越して来た頃は、駅前には小さな古本屋が確か4、5軒はあった。(マンガと文庫とエロ本しか置いてないような所に含めてだけど。)唯一残っていた、そのなかで最も本格的な古本屋が、今年の8月いっぱいで店を畳んでしまったので、今は近所には1軒も古本屋はなくなったのだった。