上野の森美術館のポルケ展

上野の森美術館のポルケ展で唯一面白いと思ったのはやはり「不思議の国のアリス」(1971年)http://www.ueno-mori.org/special/sigmar_polke/で、さすがにこれだけは良い作品だと思った。
既にプリントされている布を「地」として使い、その上に(と言うか、その間に、と言うべきか)イメージを描き込むというアイディアが面白いというだけでは勿論なくて、緑地のサッカー模様の布と黒字(一部青地)のドット模様の布とでは、サッカーボールの円形とドットの円形が対応し、この二つの異質な布地の併用は、断層を生み出すと同時に繋がりをももっている。緑地のサッカー模様の布のなかに含まれる色彩(赤と黄色)が、絵の具によって黒ドットの領域に持ち込まれることでも、この二つの異質な布地の間に、ある種の視線の浸透が生まれる。つまり、この絵全体として、様々な異質なイメージやテクスチャーが、バラバラに分離して併置されていると同時に、そのそれぞれが様々な異なる次元での関係(繋がり)をもっているのだ。画面全体を一元的に纏める秩序は存在しないのだが、しかし一見バラバラな個々の要素は、それぞれに独自のやり方で繋がりがある、という複雑な状態をつくりだしている。
画面に描き込まれた二つの異なるイメージ(不思議の国のアリスの一場面と、バスケだかバレーだかをしていて、ボールに向かってからだを伸ばしている男性スポーツ選手)の間にも、一見して何の関係もないように見えるのだが、画面左のアリスの場面での、イモムシ(とイモムシの吸っている水タバコのホース)の形態が作り出す(弧を描く)動きと、画面右のスポーツ選手が、ボールを追っててを伸ばしている身体の右手から右足に至る(弧を描く)動きとか、画面の左右で(やや縮尺をかえつつ)きれいに対応(反復)している。縮尺をかえると言えばアリスで、アリスの物語で、アリスはキノコを食べて身体の縮尺がかわる(伸縮する)のだが、この物語内容と対応するように、サッカー模様にプリントされているサッカー選手と、白い絵の具で大きく描かれている、バレーだかバスケだかをするスポーツ選手との間にも、縮尺の違いが存在する。(つけ加えれば、サッカー模様にプリントされた大小2種類のボール、ドット模様の円形、スポーツ選手が追っている描かれたボール、の間にも、同一形態=円形の縮尺の違いがあり、それがアリスの身体の伸縮を想起させる。)
アリスの場面とスポーツ選手という二つの異なる(無関係に思える)イメージは、両方とも白い絵の具によって描かれていて(つまり連続性、繋がりがあり)、しかし、画面の左右両端のサッカー模様の上に白で描かれたイメージ(スポーツ選手とイモムシ)は、緑地の上に白で描かれているから浮き上がって見えるのだが、画面中央の黒地に白いドットの地の上に、ドットと同じく白で描かれたアリスのイメージは、ドット模様のなかに埋め込まれるように沈んでいる(つまり断絶がある)。ここで断絶は、アリスの場面とスポーツ選手のイメージとの間にだけあるのではなく、同じアリスの場面のなかにも、アリスとイモムシとの間に存在している。(つまりアリスとイモムシは、「場面」としては連続しているが、「視覚的」には分離している。イモムシとスポーツ選手は、「場面」としては断絶があるが、「視覚的」には連続している。)
不思議の国のアリス」という作品は、以上のように、非情に複雑に、イメージとテクスチャーの分離(断絶)と接合(関係)が張り巡らされていて、この充実したモンタージュによって、くらくらするような視覚的経験を成立させてくれる。この展覧会でほとんど唯一の、真面目に見るに値する作品だと思う。
しかし、同様の手法によって制作されている「結合」(1983年)や「園丁」(1992年)では、プリント地の模様と、その上に描かれるイメージとの関係(絡み合い)が、単純(単調)であるため、それはたんにデザイン的な効果しか生んでいないように思う。つまり画面として充実していなくて、その画面の大きさが、こけおどしのように感じられてしまう。
●ポルケ展のカタログに載っている解説文や本人のインタビューなどを読んで思ったのは、ポルケという人の面白さはつまり、《芸術至上主義(あるいは「固有名」としてのアーチスト)を批判する(と言うか、はぐらかす)ことで、芸術家として成功して(「固有名」を得て)、お金持ちになれたのも、みんな芸術(という制度)のおかげです》、というような空虚なアイロニーの面白さ、ということになるのだろうか。しかしだとしたら、ある時期以降、錬金術カバラなどの神秘主義に(半ば以上本気な感じで)走って、妙に「本物志向」(巨匠風)っぽくなってきているのはヤバいんじゃないのだろうか。それってつまり、ネタのつもりがいつの間にかベタに反転してしまっている、「あえて」するロマン主義者そのものってことなのではないだろうか。(でもまあ、今回来ている作品だけでポルケという作家を判断するのはちょっと無理みたいだけど。)