伊藤若冲、熊谷守一

●皇居内にある三の丸尚蔵館伊藤若冲を観て、熊谷守一美術館で21周年展を観た。
●皇居のなかに入ったのは初めてで、小雨のなか竹橋の駅で降りて、お堀の白鳥と並走するように堀沿いを歩いて、平川門から入ったのだけど、平川門の辺りは歴史の「霊気」が漂っているようで張りつめた空気が重たくて、あれだけ緑が多いのに全くリラックスできない感じだった。三の丸尚蔵館に近い大手門のあたりは、人が多いためか、随分空気が緩んでいたのだけど。(平川門から入って、大手門から出た。)
伊藤若冲は三十幅ある「動植綵絵」のうちの六点が展示してあった。その技巧の凄さと「抑制のなさ」に圧倒される、というのが第一印象で(特に「紫陽花双鶏図」)、抑制のなさ、とは、画面のあらゆる部分がギチギチに描き込まれているというだけのことではなく、自分が出来る限りのことを(自分の手持ちの駒を)とにかく全て画面上に具体的に「目に見える」ように提示しなければ気が済まないという感じで、だから含みとか余白とかが感じられなくて、あらゆる細部が徹底してクリアーで、そのため画面に目が釘付けにされ、画面の隅々まで「舐める」ように視線を向けることを強要されるような感じなのだった。色彩なども、個々の部分を観ると決して派手というわけではなく、むしろ渋い感じなのだけど、そのぶつけ方、組み合わせ、配置、が、常にかっちりとハードで、そのハードさによって生まれる(装飾的で)平板な感じが、細かい描写による異様なまでのクリアーさをさらに際立たせる。おそらく、人が何かを知覚するというのは、その空間のなかで自分が「動く」ことが出来る余白(余裕)をみつけるためという側面がかなりあって、それは絵画を観るときでもそうで、その画面のなかを目が動き、画面内の様々な要素を、(目を動かしつつ)関係づけようとする、という能動的な行為が絵を観ることのなかでかなりの割合を占めることで、その能動性を「誘う」ような雰囲気こそが、その絵画の吸引力ともなると思うのだが、若冲の絵はそのような隙間がほとんどないので、目が画面の細部に釘付けにされたまま動きの自由が束縛され、その異様にクリアーな細部をただ受動的に受け入れるしかなく、そのほとんど受苦に近いような感じが生むマゾヒスティックな快楽が、若冲の絵から産み出される「美」の感触なのではないかと思った。細部の徹底したクリアーさについては「抑制がない」感じなのだが、「エロ」な感じに関しては極めて抑制的で(それは色彩の使い方などから強く感じられる)、感覚を過剰に開くことを強要されるくらいの細部のクリアーさがあるのに、その過剰さをエロとして受け取る(構成する)ことが禁じられていて、その禁止によって絵を観る人のなかに蓄積される「過剰な感覚の決着のつかなさ」(過剰に供給される感覚的入力をどのように処理してよいのかが分からない状態)が、観る人の内部に強い、しかし熱くなることは禁じられた、独自の情動を浮上させる、ように感じた。
●隙間や余白のない細部がギチギチに描き込まれた画面が、しかし全体として平板にならないのは、画面内の巧妙に断層が仕込まれていて、複数の層が出来ているからだろう。(また、画面全体を一挙にみわたすことが困難な、縦長のフレームが採用されていることも大きいと思う。)一番わかりやすいのは「秋塘群雀図」で、画面上部の飛んでいる雀の群れのなかのただ一羽の白い雀と、画面下部の、稲穂をついばむ雀たちとが(羽根の裏の白によって)関係づけられていることで、画面の上部と下部とが繋げられつつ、同時に画面内部に亀裂が生じ、それによって層の分裂が起きる。つまり、白い雀に注目している時は、まわりにいる他の群れをなす雀たちを(ブランクとして)影のようにおぼろげにしか知覚できず、群れをなす雀たちを観ている時は、白い雀(と、画面下部の雀たち)はブランクとなる。だから、全ての雀が同じくらいクリアーに描かれていても、(全てを同時に観ることが出来ないので)画面全体は決してフラットには見えない。加えて、この二つの分裂した層を、きわめて魅力的な曲線で描かれた稲穂の描写が、媒介者としてやわらかく結びつけている。このような層の分裂(と融合)のさせ方は、わざとらしいと言えばわざとらしいのだけど、圧倒的な技巧による描写の見事さと迫力によって、わざとらしさがわざとらしく感じられなくなっている。
熊谷守一美術館の、21周年展は、熊谷守一という特異な画家について、改めていろいろと考えさせられるものだった。特に強い印象を受けたのは、墨絵やドローイングの自由闊達で伸びやかな感じと、タブローから感じられる、暗くて狂気じみた感触との強いコントラストだった。以前にも書いたけど、熊谷守一は決して外光の画家ではなく「夜」の画家であり、目を瞑ることによってしか浮上しないようなイメージを描いていると思う。そしてその感じはやはり、油絵の具によるタブローにおいて、もっとも強度をもったものとしてあらわれている。単純化され、一見するとユーモラスな形態をもつ晩年のクマガイモリカズ様式のタブローのイメージは、その着地点の危うさと言うか、相互の関係の不安定さによって、観るものを感情をざわつかせ、不安にさせる。例えば、美術館に入って、最初に一通り観てまわる時には、非常に(しみじみと)渋い、工芸的な趣味をもった作品だと思えた「桜」(1964年)という作品が、一通り観て回って「クマガイモリカズの絵」を観ることにある程度慣れてから改めて観直すと、ちょっとたじろいでしまうほどに、白で描かれた桜の花びらが画面内部での着地点がみいだせない(唐突すぎる)ことに気づく。この桜の花びらの色も形態も、フレームのなかに収まっていないで浮遊してしまっているし、その前に一羽描かれている小鳥との関係も、きわめて不安定なことに気づく。この桜の花びらの白は、通常の空間や時間の秩序からはみ出してしまっているのだ。そしてそのような、イメージが着地点を見いだせないものとして迫って来る時の不安定な感触(のリアリティ)こそが、熊谷守一が描こうとしていたことではないかと思えてくる。あるいは「百日草」(1962年)で、緑の葉と、赤や黄色の花びら、コバルトグリーンに白を混ぜたような茎、というそれぞれの形態と色の、淡めて危うい関係性。我々はそれをはじめから「百日草」だと思って観ているから、その形態の面白さや工芸的な仕上げの趣味の良さを味わったりすることが出来るのだが、しかししばらく時間をかけて観ていると、それぞれの形態が収まるべき関係からこぼれ落ちるようにして自己主張をはじめ、なんとも気持ちの悪い感触が滲み出てくる。あるいは、「野菜」(1949年)や「露天風呂」(1951年頃)で観られる「青」の、なんとも言えない鮮やかな「暗さ」はどうだろう。この、あまりに鮮やかで、かつ、あまりに暗い「青」(それは決して闇や空虚ではなく、実質としての「鮮やかさ」をもった暗さなのだ)は、我々が通常、光によって見ることの出来る現実的な物体のなかには見いだしようのない何ものかで、目を瞑ることによってしか見えてこない(冴え冴えとして冷たい、深淵などという臭い言葉を思わず使ってしまいたくなるような)色彩を実現しているようにも思える。
●今回、驚いたのは、戦前に描かれた「某婦人像」(1918年)という絵が凄く良かったことで、これは描き方としては、古い日本の洋画の様式そのもので、薄く溶かれた半透明の汚い色を塗り重ねて描かれていて、ぼくはそういう「古い日本の洋画」の描き方をみるとげんなりしてしまうのだけど、この絵は、そんなげんなりするような様式で描かれているにも拘らず少しも濁った感じがなくて、女性の肌の感触や、その下に血が通っている感じがやわらかく捉えられており、しかも、何とも言えない一瞬の表情が的確に捉えられてもいて、思わずマネのベルト・モリゾマラルメの肖像を連想してしまったくらいで、勿論、マネのように洗練されては全くいないのだが、まったく洗練されていないにも拘らず、マネを連想させてしまうというくらいに「良い絵」で、戦前の日本という環境でこんなものが描けてしまう熊谷守一の才能に驚いたのだった。(この絵だけでなく、いわゆるクマガイモリカズ様式以前の初期作品が皆、思いのほか良くて、青木繁よりもずっと上手いと思った、)