●引用、メモ。セザンヌから、息子ポールへの手紙。
1906年9月8日
《親愛なるポール、
今日(十一時ごろ)また暑さがかなりぶりかえしている。空気が暖まりすぎ、風が全然ない。この高温はただ金属を膨張させ、飲物の売れ行きを良くし、エクスで相当の地位にのし上がってきたらしいビール業者を喜ばせ、この土地でインテリと称される馬鹿者や間抜けや白痴共をますます増長させるだけだ。
(....)----最後に、お前に言っておくが、私は画家として自然を前にするとより明晰になる。だが、私にあってはつねに私の感覚の実現は大変な苦労を伴うのだ。私の五官のうちに展開するあの痛烈さに達することができず、自然を彩るあの色彩の豊かさを獲得できない。この河のほとりではモティーフが増加する。同じモティーフでも、角度を変えて見ると、最大の興味をそそる研究の対象となる。しかも実に変化に富んでいるので、何ヶ月も場所を変えずに、ただ右を向いたり左を向いたりだけしながら、仕事ができるほどだ。(....)
お前とママンに接吻する。お前の老父、
ポール・セザンヌ
1906年9月22日
《親愛なるポールへ
長い返事をエミール・ベルナールに書いた。私の専心事がはっきりと感じられる手紙で、そのことも書いた。私と彼と、気質も違うし、物の感じ方も同じではない。しかし、私の方が多少より良く絵がわかっており、また、私の考えを彼に伝える伝え方がいかなる意味でも彼を傷つけてはいけないのだ。結局、人はいかなる点でも他人の役に立てないと私は信じるに至った。ベルナールとなら確かに、無限に理論を展開してゆくことはできるがね、彼には考えを理論的に進めてゆく素質があるのだから。私は毎日風景をやりにゆく。モティーフは美しい。他の場所にいるよりも快適に毎日をすごすことができる。
お前とママンに心から接吻する。お前の父
ポール・セザンヌ
1906年9月26日
《親愛なるポールへ
(....)昨日、マルセーユからきた好漢カルロス・カモワンに再会した。絵を一荷物かかえて、私の意見をききに来たのだ。彼の絵は良い。もっと進歩するだろう。彼はエクスに何日か滞在し、ル・トロネの小道へ制作にゆく。気の毒なエミール・ベルナールの描いた人物を撮った写真を私に見せてくれた。彼がインテリであり、美術館の思い出をいっぱい持っており、しかし自然に即してものを見ることを充分にやっていないという点で、われわれの意見が一致した。学校(エコル)から、あらゆる流派(エコル)から抜け出すこと、これが最も肝要なのだ。----だからピサロは誤っていなかったのだ、芸術の墓場を焼いてしまえとまで言ったのは多少言いすぎだったとしても。----芸術上のあらゆる職業人やその同類と一緒にやるのでは、奇妙な家畜小屋ができあがること間違いなしだ。(....)私は毎日アルク川のほとりへ自然をやりに行く。荷物はボッシーという男のところであずかってもらっている。
お前とママンに心からなる抱擁を送る。
お前の父
ポール・セザンヌ
1906年10月13日
《親愛なるポール、
(....)たっぷり雨が降ったから今度は涼しくなるだろう。河のほとりはもう少し寒いので、私はここを止めてボルガール村の方へ登ってゆくことにしている。道が起伏に富み、眺めもいいのだが、ミストラルに吹きさらされるのが難点だ。近ごろはそこまで水彩の袋だけ持って歩いてゆくのだ。油は荷物の置き場所が見つかってからだ。昔は年に三十フランも払えばどこでもあずかってくれたものだ。最近はいたるところ暴利あるのみだね。----どうしたらよいか、お前がこちらに来るのを待っている。空模様は悪くて、変わりやすい。神経が弱っている。私を支えられるのは油絵だけだ。これを続けないといけない。自然に即して実現しないといけないのだ。----習作や油絵を私がやるとしたら、それは、モデルが暗示する感覚や展開そして手段に基礎を置いて、自然に即して構成するだけのことなのだ。私は同じことばかり繰り返しているね。アマンド入りの菓子パンを少し買っておくれ。
お前とママンを心から抱擁する。
お前の父
ポール・セザンヌ
1906年10月17日
《親愛なるポール、
土曜日曜と二日続きの雨と嵐で、とても涼しくなった。全然暑くない。お前に言うとおり、ここはどうにも仕様のない田舎だ。私は難渋しつつ仕事をしている。しかし、そこには何かがある。この点が大切なのだと私は思う。私の仕事の底には感覚があるから、他から影響されることはないと信じる。私を易々と模倣するお前も知っているあの不幸者などは勝手にさせておこう。危険なことは少しもないのだ。
(....)----すべてが驚くべき速さで過ぎてゆく。私の調子はそう悪くない。体に気をつけて、よく食べている。
(....)
ポールよ、お前の望むような充分な便りを書くためには、もう二十歳は若くないといけない。----繰りかえして言うが、私はよく食べている。また多少の心の満足----これを与えてくれるのは仕事しかない----が私の体にも多いに良いと思う。この町の連中などは私にくらべれば皆間抜けだ。もっと早く言わねばいけなかったのだが、ココアはもう受け取った。
お前とママンを抱擁する、お前の老父、
ポール・セザンヌ
●この日、制作の途中で雨にうたれて倒れ、それがきっかけとなって、セザンヌは22日に亡くなる。
●当たり前と言えば当たり前のことなのだけど、セザンヌが当然のように自分のことを「父」とか書いているのを見ると、ちょっと動揺する。こういうことに驚いてしまうぼくが変なのかも知れないけど。それにしてもセザンヌは息子のポールに絶大な信頼を寄せていたみたいで、息子への手紙では随分気を許しているというか、息子に依存しているようにさえみえる。
●今日の天気(06/11/03)http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/tenki1103.html