美的判断は、

●美的判断は、共同性とも社会性とも関係のない、あくまで孤独なものだ。徹底して孤独なものだからこそ、共同体や社会と関係なく、あるいは文化資本とは関係なく、あらゆる人に対して「より無防備に開かれている」可能性を持ち得る。美的判断が、社会性を担保にしたものであれば、特定の社会に属さない人をはじめから除外することになるしかないだろう。
美的判断はコミュニケーションとは関係がない。岡崎乾二郎が『経験の条件』のあとがきで、ウィトゲンシュタインの「自分の見ている青と他人の見ている青とが同じであるとは限らない」という懐疑を、そもそも「自分の見ている青と自分の見ている青とが、同じであるとは保証されない」と書き換える時、そこに重要な差異が生まれる。前者は結局、言語ゲーム(コミュニケーション)の問題でしかないが、後者は「美的判断(美的経験)」の問題となる。芸術によって与えられる「美的な経験」の質は、誰とも共有出来ないからこそ(そもそも自分自身に対してさえその同一性を保証出来ないからこそ)、他者に対し、世界に対し、徹底して開かれたものとなる権利が生まれる。共同性や社会性への中途半端な配慮は、作品を弱くすることにしか貢献しない。(もともと社会性とは関係ないのだから、反社会的であることにも意味がない。)
芸術家にとって「修練」することとは、多くの知識や高い技術を得ることではなく、より徹底して孤独になることが出来るようになるためにすることだ。勉強は、ジャンルや歴史に詳しくなり、事情通になるために(あるいは事情通と認められるため)必要なのではなく、現代やシーンやジャンルといった文脈や人間関係から自由になるためにこそ必要なのだ。つまりそれは転移関係からの離脱ということで、ぶっちゃけ、他人の顔色をうかがわなくてもよくなるためにこそ、勉強が必要なのだ。
●ぼくがこのことに異様にこだわるのは、もしかするとたんに個人的な経験によるのかもしれない。ぼくにとって芸術とサブカルとの違いは、前者は誰とも共有出来ず、他者によって保証もされない経験であり、後者は、一部のマニアックで濃い友人とは共有可能な経験であった、という違いだった。中学生の頃、プラスチックスや「ビックリハウス」や「不条理日記」は、少数の友人たちとは共有できる経験だったが、相米慎二はそうではなかった。『ションベンライダー』を観たショックは、周囲の誰とも共有できなかったし、中学生が知っている映画雑誌(「キネマ旬報」とか「スクリーン」とか)からは、自分の受けたショックを説明したり保証したりしてくれるような言葉などみつからなかった。(勿論、当時既に相米慎二は高い評価を得た監督だったが、ぼくは相米を高く評価するような「判断の体系(文脈)」があることを知らなかった。)ぼくはその「とんでもないものを見た」というショックを、自分自身に対して説明する言葉ももたないままに、その解決出来ない感触を一人で抱え込むしかなかった。その何年かあとに、例えば四方田犬彦の映画批評集に相米論をみつけ、そこではじめて、自分の経験をある程度説明し、保証してくれる言葉(つまり自分の経験が孤立したものではないことを示す言葉)と出会い、おそらくそれをきっかけにシネフィル的な映画批評のテキストなども読むようになったりもするのだが、しかしそれはあくまでも「ある経験」の後からくるものであり、しかもそこには数年のズレがある。(いや、実際には一年弱くらいのズレだったかもしれないけど。)そのズレの間じゅう、自分の受けた衝撃は誰とも共有されず、というかそもそも、それが本当に邀撃だったのかさえ保証されていない状態で、言語化も解決もされないものとして抱え込まれるしかなかった。そしてそのような孤独で不確定な経験の質こそが「芸術」の意味であると、ぼくには思われる。
(事件とは、決してリアルタイムでは把握できないもののことだと思う。今、目の前ではただならぬ事態が起きている、とその場で意識できるようなものは、既に自分の認識の体系に位置をもつ出来事であり、事件とはいえない。「ただならぬ事態」ということが既に、ある同一性を担保とした便利な「言葉」にすぎない。事件とはおそらく、後から振り返ってしか把握できないもののことで、その場ではけっこうあっさりしたものだったりする。芸術の経験というのも、そういうところがあるように思う。)