●昨日、出掛けた時に持っていって電車の中などで読んでいたディックの『ユービック』を、どこかに置き忘れてきてしまったみたいなのだけど、今日になってみると部屋に何故かもう一冊あった。(カバーをかけていないから別の本であることは間違いない。)
●ほぼ一日中本を読んでいて、いい加減うんざりしてテレビをつけて適当にチャンネルを換えていたら、YMOの三人が出ていた。(というか、HASって言うんだっけ。)なんだかんだ言ってYMOというブランドに反応してしまうのは「ぼくらの世代」っぽくて凄く嫌なのだけど、ああ、また三人でやってるんだ、と思ってちょっと観ていたら、すぐに「Riot in Lagos」の演奏がはじまって、これが凄く良かったので、つづけて観てしまった。
『B-2 UNIT』をはじめて聴いたのが中学生の時だから、あれから25年近く経ってしまったんだなあ、と思って「25」という数字を具体的に思い浮かべた瞬間、ゲッ、それって四半世紀ってことじゃん、と驚いた。そのくらい時間が経ってはじめて、「同時代」であることからくる、過度な思い入れとか無駄な反発とかから自由になれるのかなあ、と思った。(コーネリアスがカバーした「CUE」を聴いた時にも、チラッと同じようなことを思ったのだが。人間関係とか、感情的な軋轢とか、時代の空気(束縛)などから逃れるには、作品そのものの強度も勿論だけど、たんに物理的に「時間が経つ」ということも重要なんだなあ、と思うのだ。)ぼくは全盛期のYMOにはほとんど思い入れはなくて、NHKの朝のニュースのテーマ曲の人たち、くらいの感じで、当時の興味の対象は坂本龍一だったわけだが。
(ライブの映像で、高野寛がギターを弾いているのが見えた。「細野晴臣トリビュートアルバム」でぼくが一番好きなのは、断然、嵩野寛+原田郁子の「終わりの季節」なのだった。)