●一日中歩いた。用事がいくつかあり、その用事のための行き先のすべてに、電車もバスも使わずに歩いてゆこうと決めたのは、最初の用事の先である市役所まで歩いて行って(歩いて三十分くらい)、その用事が思いのほかすんなりと済んだ時だった。天気も良かったし、雨の心配もなさそうだったので、気分も軽かった。市役所は川沿いにあり、何日か前の大雨による増水のために、川原の植物は皆なぎ倒されていた。大きめの河川では必ず、川原を使って違法に畑作をしているところがあって、その作物も壊滅的に流されていた。水かさはまだ、普段よりだいぶ多かった。
用事の先まで歩いてゆこうとは思っても、気まぐれでそう決めただけで、歩いてそこまで行ったことはなく、地図なども持っていないので、だいたいこっちの方角っぽい、という方向にずんずんと歩いていって、途中でちょっと面白そうな路地なんかがあると、そっちへ寄り道して、という感じでふらふらと歩いたのだけど、案外とすんなり辿り着けた(もうちょっと迷ったりすることも期待していたのだけど)。途中、車がすれ違うのも困難な細い道に、抜け道みたいになっているのか、多くの車がはやいスピードでびゅんびゅん走っていて、軽くイライラした。そこを抜けた四つ角の角に、八百屋みたいな店のつくりの本屋があって、雑誌やコミック本が、野菜みたいにして台の上に並んでいた(「洋服の直しもやります」という張り紙もあった)。民家の庭にまだ実の青い柿の木と枇杷(?、多分)の木。「この先行き止まり。通り抜けもUターンも出来ません」という張り紙。はじめての土地ではないが、はじめての道を歩いていて面白いのは、まったくはじめて通る道から、割りとよく知っている場所へと出る、そのほんのちょっと手前のあたりで、急に親しい感じというのか、「見覚えあるっぽい」感じが湧き上がってくることで、その感じがあらわれるとすぐに、ああ、ここに繋がっているのか、という、知っている場所に出るのだった。見覚えはないのに、見覚えあるっぽい感じがするという、その感じが面白い。出来れば、この感じがもっと長くつづけばいいのにと思った。
普段の散歩と違うのは、肩にずっしりと重みがくる鞄を持っていたことで、もしかすると腰にくるかもと思っていたのだが、意外に平気だった(左の肩にかけたり、右の肩にかけたりはした)。蒸し暑いし、まだ光りは強く、緑も濃いのだが、もう、夏の盛りの過剰さはない。サルスベリのピンクの花。古い三階建てのアパートの脇に、建物よりも背の高い木。少し黄色の混じった濃い緑の葉と、真っ青な空との境目を、黒々と輝くカラスが行き来していた。