●今日も半分は寝込んでいた。昨日は夕方、ちらっと外に出たものの、ほぼ丸2日ずっと部屋で横になっていたので、いいかげんうんざりして、まずヒゲを剃って、天気もよかったし、昼頃に、二時間強、ゆっくりと、おそるおそる、まるで杖をついて歩くおじいさんみたいな感じで散歩した。からだをほぐすように歩いた。普段と同じ道でも、体調が良くない時には、元気な時とはまったくちがった表情(あるいは身体へのダメージ)が感じられて、それはそれで面白い。ちょっとした土煙りが、こんなに鬱陶しいのか、とか、行く手を車が塞いでいるのを注意しつつ迂回するだけのことが、こんなにしんどいのか、とか、工事現場でコンクリートを砕いている振動が、こんなにも暴力的なのか、とか。同時に、地面を踏む時の感触の変化などは、普段以上に繊細に、新鮮に感じられる。川原に出ると、川面の色が(つまり、水面に映る空の色が)すっかり春っぽい、ぼんやりした色になっていた。ところどころが、エメラルドグリーンに濁っている。土手の上のアスファルトの道、土手と川原の間のデコボコしたコンクリートの斜面、川原の雑草混じりの土、の、それぞれの踏み心地を確かめながら歩く。風が強くて、帽子を押さえながら歩いた。帰ってから、普段の自分からするとびっくりするくらいの量の食事をしてから(体調が回復しつつある時に異様なまでの食欲が湧くということは、自分のからだを信じて良いんだなあと思うのだ)、もう一度横になり、眠って、夕方に目覚めた頃には、頭痛はずいぶんと楽になっていた。まだ頭の芯が多少痛むものの、薬なしでもなんとか耐えられるくらいにはなった。夜には、少しだけ、本を読んだり、DVDを観たりも出来るようになった。制作も少しした。何日かぶりで喫茶店へ行って飲んだコーヒーがとてもおいしかった。特に、おいしいコーヒーをだす店というわけではないのだが、何日かぶりでコーヒーをおいしいと感じた。体調が悪い時には、おそらくこの香りがすごく鬱陶しい。コーヒーが、それを受け止めるためにはそれ相応の体力が必要な、強烈な飲み物なのだということを、改めて思う。