●本の初校ゲラのチェックと、新しく書く部分の原稿が終わった。明日の午前中に原稿をもう一度推敲して、ゲラと原稿を送り出し、とりあえずいったん本の仕事はぼくの手から離れる。しかし、これで気を抜くことは出来なくて、これから先の一ヶ月が、(別の仕事で)さらにハードなことになっている。
ほとんどネタバレに近いことだけど、ぼくは、この本で、一度も「文学」という言葉を使っていない。「小説」「作品」「芸術」は出てくるけど、「文学」は出てこない。このことが、ぼくの本のあり様をあらわしているように思う。そしてもしかすると、こういう態度が、「文学」(あるいは「批評」)が特別に重要なものだと思っている人を苛立たせるかもしれない、とも思う。
「文学」とか「批評」という言葉がもっている枠組みや重力からいかに離れて、「小説」を読み、それについて考え、書くことができるのか。小説を、たんに一つの作品として、たんに芸術の一ジャンルとして、読むこと。というか、たんに「読む」こと。この本は、外側から与えられるジャンルとしては「評論」と呼ばれるしかないと思うし、実際、文芸誌に評論というカテゴリーで掲載されたもので、いわば評論という仮の住処に間借りさせてもらうことによって書く場が与えられた文章たちなのだが(つまり、既にある「評論」という枠組みに依存しているという事実は否定しようもなくあり、そこに日和っている部分もまったくないとは言えないのだが)、そうだとしてもやはり、評論とか批評とかじゃないんだよなあという気持ちが強くある。