●まだ削除されてなかったので、『輪るピングドラム』をもう一回観られた。
先の展開は全然みえないけど、一話を観ただけの感じだと『輪るピングドラム』の話は、アプダクション(パースの仮説形成じゃなくて宇宙人に誘拐される方、というか、ボティースナッチャー)と近親相姦(しかも妹は本当は死んでるから屍姦でもある)というすごくエグいネタで(しかも「生存戦略」とか言っているのでさらに胡散臭いというか、香ばしい)、それをあんなやわらかい絵とパステル調のカラフルな色彩で、かわいい女の子やかわいいキャラを出しつつしれっとやってしまうという(普通に考えてあの兄妹の関係は相当気持ち悪い)、しかも、カラフルといってもけっこうキワキワな、アウトサイダーアート的なやばい感じの過剰なカラフルさでもあって、とはいえ、それも行き過ぎる一歩手前で留まっていて、いろんなバランスが、エグくてキワキワ(破綻寸前)だけど寸止めでもあるという、ざわざわしてるけど表面上は一見静かに見せているというか、絶妙のバランス(絶妙の「バランスの悪さ」、例えば、家のなかの過剰な情報圧縮と、家の外の普通のリアリズム、それに他者への異様な無関心、のバランスのおかしさとか)で成立していて、これって相当すごいことだと思う。
実際、電車のなかに人がいない(中吊り広告のグラフィックが過剰に自己主張する)とか、同級生に顔がない(後頭部しか映らない)とか、通行人が記号的に処理されるという他者への徹底した無関心に対し、家の中は過剰な細部と装飾が充満していて密度が濃いという、すごい内向きな感じであらわされる三人兄妹の関係の癒着があって、しかし妹の身体が謎の存在に乗っ取られることによって、内向がそのもっともディープな内側から引っくりかえされるというのが一話目で起こっていることで(この謎の存在のグラフィックの過剰さもすごいのだが)、壁を通過する光というのは図像的に処女懐胎を意味するのだがそれを連想させる冒頭の「☆」の侵入がそれを予告していた。そして、その、兄妹関係の内向的密度と、他者への無関心との間にある「風景」が、(いかにもいまどきのアニメっぽい)地名とかも書き込まれた普通のリアリズムであらわされているのだが、このことが、今後どういう意味をもってくるのだろうか(こういう要素は「ウテナ」にはまったくなかった)、と思う。内向的密度と風景の普通のリアリズムをつなぐ媒介である「家の外観」(玄関の脇に招き猫の入った変なカプセルがあったり、家のとなりが公園で、家の側面にアラカワの住宅みたいなカラフルなトタンが貼ってある)も、とても面白い。
ウテナ」は、すごく分かり易く「悪趣味(というか過剰に装飾的)」な感じだったけど、こちらは、すごく分かりづらく「悪趣味」というのか、一見おしゃれにみえてしまう悪趣味というか、一個一個の要素はスタイリッシュでも、相容れないスタイリッシュたちが混在してパースペクティブが歪んでいるというのか、一見やわらかくて穏当にみえて、実は中味はドロドロというか、しかもそれが、何かとても普通というか、自然であるかのように成り立って見えたりさえする。このハイブリッド感は、たんに手数の多さとか情報の圧縮ということだけでは説明できないことだ思う。