●『中二病でも恋がしたい!』。最終回は思いっきりベタにきて、そのベタを徹底してやりきっている感じ。中二病の恥ずかしさと、ベタをベタにやりきる恥ずかしさがある意味重なっていて、堂々とベタをやりきることが中二病の肯定となっている(「中二病」と「恋がしたい」という水と油のように相容れないものが、「恥ずかしさ」とそれを「やりきること」によって重なり、両立する)。ぼくが最初に期待していたものとはまったく違う作品になったけど、これはこれで大変に素晴らしかったと思う。ぼくはどちらかというと今まで京アニは嫌いだったのだけど、この作品を観て宗旨替えさせられた感じ。
あと、やはりこの作品の良いところは脇役のフォーメーションの見事さだと思った。一人一人のキャラが魅力的ということももちろんあるけど、それだけでなく、それぞれのキャラがきびきびとしたフォーメーションによって適宜位置を変え、役割を交代しながら、作品を生き生きとさせるような、意外な流れや動きを形作るパスを見事に出しては繋いでいて、それが、ベタな流れが単調になることを防いでいる。今回も、デコモリの変身とツユリの継承によって、ベタな流れがベタ一色に塗りつぶされることがなくなっていた。まさかその位置にお前が……、というポジショニングが素晴らしい。
●『中二病…』は空間のつくりも面白い。団地においては、トガシとタカナシはベランダ−窓という、玄関=正式的なルートとは別の秘密の通路でつながっているのだが、タカナシの部屋はトガシの部屋の上にあるから、タカナシ→トガシという方向へ下ってくることは割合たやすいが、トガシ→タカナシという方向へ登ってゆくことは困難だ(トガシ→タカナシという方向は、階段−玄関という正式ルートによる通路しかない)。最終回で、トガシがタカナシの部屋の様子を見るために向かいの棟から双眼鏡を使って覗く必要があったことが、トガシ→タカナシ方向へのルートの困難を示している(公式ルートが閉ざされているとなすすべがない)。非公式ルートはタカナシ→トガシという一方通行なのだった。このことが、この作品前半の二人の関係を示している。
しかし中盤で、タカナシの祖父母の家が登場することで二人の関係が変化する。祖父母の家のタカナシの部屋は二階にあるが、屋根があるので、地上から屋根の勾配を伝って上ってゆくことが出来る。つまりここで、トガシ→タカナシという方向の非公式ルートがはじめて開かれた。それは逆に言えば、祖父母の家でしかトガシ→タカナシ方向の(いわば「中二病」的)非公式ルートは開かないということだ。だから、団地や学校という空間では、トガシはタカナシに「中二病やめろ」的な公式見解しか述べることができなかった。しかし最終回においては、タカナシが祖父母の家に戻ることによって、トガシ→タカナシの非公式ルートが開かれる可能性が再び生まれた。トガシの自転車での走行は、二人の物理的距離(公式的距離)を踏破するためのものであるというよりも、非公式的ルートを開くための、物理的空間を超えるための(バニッシュメント・ディス・ワールドのための)行為であった。
タカナシ→トガシ方向と、トガシ→タカナシ方向との、両方の非公式ルートが開かれることで、不可視境界線は超えられた。
●『ロボティクス・ノーツ』。展開は相変わらず緩いけど、物語としてはシビアなところに入りはじめたみたいだ。