●忙しいけど最後の追い込み。もう少し。
●最近すごい勢いで目が悪くなっている気がする。宅急便の伝票に書いてあるサービスセンターの細かい電話番号が読み取れない。夕方、うす暗くなってくると、裸眼で外を歩くのはちょっと危険かも、と思う時がある。
●「お兄さんはごはんを四杯食べました、弟はごはんを三杯食べました、どちらが多くご飯を食べたでしょう」と、夕方のうす暗闇のなかで小学生が友達になぞなぞを出していた。考えてから喋るのではなく、喋りながら適当に考えた感じ。とりあえず「お兄さんはごはんを…」と口にしたものの、その先がどうなるのか考えてなくて、つっかえながら、なんとかそれらしい形を即興ででっちあげたようだ。答えもまた適当で、どんぶりで三杯食べた弟の方が、茶碗で四杯食べたおいさんよりも多く食べた、と。これもきっと、問題を言った後に、後付けで考えのだろう。いじわるく言えば、どんぶり三杯と茶碗四杯の米の量の差は微妙で、弟の優位は自明とは言えないけど、即興でここまで考えた子供はかなり頭がいいと言える。
これは小学生のたわいのないなぞなぞだけど、表面をもっともらしく加工すると、人はけっこう、こういう話に簡単にひっかかる。そもそも基準が違っているものを、数字だけをみて比較してしまう。数字を(関係や比例ではなく)実体の素朴な反映だとする感覚は、我々のなかにけっう根深くある。
この前の中沢読書会で、清水さんが、貯めておくと価値が下がる(持っていると腐る)減価貨幣の話をした時に、井上さんが、マクロ経済的にみれば貨幣量を増やすことと貨幣を腐らせる(価値を希釈する)ことは同じことだと言って、西川さんが、でも、貨幣量が増えると自分の持っている貨幣の価値が下がるという感覚を理解できる人はなかなかいない、自分の持っている金(数字)は減ってないだろうと思ってしまう、と言っていたけど、このこととそれとは関係がある。