●その人自身が口にする(書いたりする)分にはかっこよかったり説得力があったりしても、それを誰かが引用したとたんに薄っぺらくなるような言葉ってあるなあと思った。それは文脈(人格)から切り離されて、格言化、名言化されると陳腐になるということなのだろうか。いや、「格言化」「名言化」という言い方が既に、格言や名言という言葉を陳腐にしてしまっている。格言や名言が(格言や名言だからこそ)「効く」あるいは「深く響く」場面も確かにある。だからそれは結局、それがどう使われるのかということなのか。つまり言葉自身の属人性(文脈依存性)の問題であるより、引用のされ方の問題ということなのか。つまり、引用する人がその言葉からどれだけのことを読みとったかが透けてみえてしまうということか。
●祖父の二十三回忌。祖父が亡くなって二十二年ということになる。ぼくはまだ学生で、二十代のはじめ頃だった。親戚たちが、祖父の死の日や葬式の日にあったことをいろいろ話した。憶えていることも、言われてみればそうだったかもということも、まったく記憶にないこともある。自分で思い出すのではなく、人のする話のなかにある二十二年前の場面は思いのほか生々しく、そこにいる自分たち(死者を含めた)の若さにびっくりする。「そこにいる自分たち」の「若さ」から隔てられたものとしての現在を、強く感じた。
今これを書いていて「若さ」の前に「(死者を含めた)」と書き足した自分にちょっと驚いた。死者の若さって何のことなのか(祖父が亡くなったのは七十九歳だったし)。たんに、祖父の死がまだ生々しかったころの空気のようなものの言い換えに過ぎないのか。それとも、死者が死者として歳をとるというような、別のイメージが何かよぎったのか。