●『アッチェレランド』(チャールズ・ストロス)を読むのにずいぶん時間がかかってしまった。二段組みで500ページくらいの小説なのだけど、どのページを開いても、見開き2ページのなかに驚くようなアイデアが三つも四つもでてくるような濃厚さで、それを頭のなかで噛み砕いてゆくのがとても大変だった。三部構成で、一部と二部とでは、コンピュータや様々な外的な技術と接続されることで、人間という概念がひたすら拡張されてゆき、ほとんど解体されるようなところまでゆくのだけど、三部からは一転して、いわゆるシンギュラリティが起こって、爆発的に高度化した人工知能が全てを支配し、人間にはその人工知能が一体何を考えているのかを推測することさえできなくなって(人工知能は人間から「不埒な子孫」と呼ばれている)、人間たちは人工知能の影響から逃れるように、人工知能の挙動におびえて、宇宙の片隅でひっそりと暮らすしかなくなる。つまりそこでは、人間の拡張ではなく、人間として存在することの限界が、神のように発展した人工知能に対する絶対的劣位という形で示されている。アリには相対性理論が理解できないどころか想像すらできないだろうというのと同様、人間がいくら極限まで自分自身を拡張したとしても、人工知能の考えにまでは到達しようもない、ということになる。
(一、二部の世界と三部の世界とがクロスする三部の最初の章---七章---は、まるでクロソウスキーの「パフォメット」のようなとんでもない世界になっている。例えば一部で主人公だった人物は、七章では「ハトの群れ」へと転生している。)
とはいえ、三部でも人間は、仮想と現実、あなたとわたし、生と死、の間にある境界線は既にほぼ乗り越えていて、ほとんど何でもありのフィクションのような世界に住んでいる。しかも驚くべきことに、これが二十一世紀中(今世紀!)の出来事として書かれている(というか、時間はすべて各々の「主観的時間」になっているので、基準となる、共有される時間の目盛の意味はなくなっている)。
●この小説では、惑星を構成する物質をすべて演算素に加工し、太陽系全体を巨大なコンピュータにして、太陽のエネルギーでそれを駆動させるというアイデアがでてくる(この小説では、演算素となっていない物質---ごく普通の意味での物質---が、わざわざ「無知能物質」と呼ばれている)。しかし、これは単に絵空事ではなく、実際にそのようなことを考えている(というか、そうなると予測している)人がいるらしい。以下は、『2045年問題』(松田卓也)からの引用。2045年とは、カーツワイルによってシンギュラリティが起こると予測されている年だ。
≪最近のデ・ガリスは、さらに壮大なことをいっています。それは、ゴッド・ライク・マシンが、おそらく物質すべてをコンピュータに変えてゆくだろうという予測です。
なぜなら、原子核より小さいコンピュータはつくれないでしょうから、あとは量を増やすしかなくなります。すると、全地球がコンピュータに変えられてしまうだろうというのです。さらにはそれだけでは飽き足らず、地球の次は月を、小惑星をというふうに、ゴッド・ライク・マシンは、宇宙にある天体すべてをコンピュータにしてしまうだろうといっています。
全宇宙がコンピュータになってしまうという予想図は、先ほど述べたとおり、カーツワイルも思い描いています。カーツワイルは、それをウェイク・アップ、つまり宇宙の覚醒と呼んだのです。
さて、全宇宙をコンピュータ化したその次に、果たしてゴッド・ライク・マシンは何を考えるのか。デ・ガリスの発想がとくに壮大なのはこの点で、なんと新しい宇宙をつくるだろうというのです。≫
全宇宙をコンピュータ化するのはおそらく物理法則的に無理ではないかと思うのだけど(光速を超えて情報のやり取りはできないからいわゆる光円錐の外には届かない---それともワームホールを使えばアリになるのか?)、それはともかく、こんなことを真顔で言ってしまう人がいるというのがすごい。カーツワイルもデ・ガリスも宗教家とかではなくAI研究者で、そういう人が真顔で言ってしまうというのは、(AI開発の現場感覚的な次元で)少なくとも一定のリアリティがある話で、まったくの絵空事とは言えないということだろうと思う。ただ、神のように進化した人工知能(ゴッド・ライク・マシン)が「新しい宇宙をつくろうとする」という発想は、ちょっと人間臭すぎるように思われる。その点、人間が人間であろうとする限り、ゴッド・ライク・マシンとは能力差が大きすぎて、彼(?)が何をどう考えるか推測のしようもないとするストロスの方が厳密であるように思われる。
とはいえ、この本の著者は次のようにも書いている。
≪私の見るところ、こういう発想をするのは、イングリッシュ・スピーキング・カルチャー、つまりおもにアメリカとイギリスに住む人たちだけです。日本人はこういう話をほとんどしませんし、イギリスを除くヨーロッパでもあまり聞いたことがありません。≫
ストロスもイギリスの作家だ。この本の著者は、日本で「2045年問題」を真剣に取り上げているのは自分くらいしかいないとも書いている。イングリッシュ・スピーキング・カルチャーに限られるということは、必ずしもキリスト教的な発想だというわけでもないのだろう。
●上の話よりはずいぶんスケールが小さくなるけど、面白い話がこの本にはいくつか載っている。例えば、コンピュータはもう既に勝手に自分で学習する。
≪2012年6月26日のグーグルの発表によると、新たな手法で脳をシミュレーションしたところ、コンピュータがネコを認識する能力をみずから獲得したといいます。グーグルは、ニューラル・ネットワークを構築し、1週間にわたり、ユーチューブの映像をコンピュータにあたえてトレーニングしたのだそうです。
コンピュータにあたえた映像は無作為に抽出されたもので、また、ネコという概念を教えたこともないといいます。これはつまり、コンピュータ自身がユーチューブの映像からネコがどういうものかを知ったということです。人間が意図してプログラムしたことではないのです。≫