NHKの「サイエンスゼロ」で時々プレゼンバトルというのをやっていて、それは、実際にその分野の研究者である専門家が何組か出てきて、自分が研究している分野の現在と将来の展望を分かり易くプレゼンするという内容になっている。そして、何故そんなことをするのか分からないのだけど(そんなことはすべきでないと思うのだけど)、そのプレゼンに対して観客が投票で人気の順位を決める。
(この投票は、プレゼンの能力に対する評価なのか、その分野への関心に対する投票なのか。とはいえ、番組自体にはショーとして盛り上げるためにバトルを利用している感じはあまりないので、たんに観客の興味の傾向を知りたいだけなのかもしれない。)
先週と今週の二週で六人の研究者がプレゼンをしていて、人気投票の一位が宇宙探査に関する研究のプレゼンで、最下位が人工知能に関する研究のプレゼンだった。
以前、ヒッグス粒子発見というニュースをNHKでやった時、解説者がヒッグス粒子とはどのようなものなのかをざっくりと解説した後、アナウンサーが「では、この発見がわれわれの生活にどのような影響を及ぼしますか」と解説者に問うているのをみて「ええっ、ヒッグス粒子に対してそういう関心の向かい方があるのか!」とすごく驚いた。とはいえ、リアリズムとしては、多くの人にとって科学への関心というのはそういうものなのかとも思った。
でも、そのようなリアリズムとして考えた場合、人工知能の開発というのは最も「われわれの生活への影響」が大きいものだと思うのだけど、この関心の低さというのはどういうことなのだろうかと思った。AIの能力が高まれば高まるほど、人間の仕事は確実に減る。しかも、機械ならばどんな使い方をしても「ブラック」とか言われなくて済む。
いや、ものすごくリアリズムだからこそ、「夢」を与えてくれる宇宙探査とは違って、できるだけ「目を背けておきたい」のかもしれないのか……。
●下のリンク先の記事は「オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった」というもの。元は「週刊現代」の記事だという。でもこれって、「機械との競争」などに書かれていることに加えて、特に何か新しいことを言っているとは思えないし、むしろ (印象的な判断に過ぎないけど)随分と抑えた「甘め見通し」のように感じられる。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925
(ロボットやコンピュータは芸術などのクリエイティブな仕事に向いていません、とか、このオズボーンという人は本気で言っているのだろうか。この人の言う、《機械にできる仕事は機械に任せて、より高次元でクリエイティブなことに集中できるようになる》という「クリエイティブ・エコノミー」の時代とは、全人類のうちでもっとも優秀な上位1パーセントくらいの人たちの間でだけ成立するような世界ではないのか。
あくまで「比喩」的な話だが、例えば将棋AIはまだ、「世界で一番将棋が強い人」を破ってはいないが、「ほとんどのプロ棋士」よりは既に強い。だとすればここで言われる「クリエイティブな仕事」とは、プロの棋士であるだけでは足りなくて、天才、羽生善治でなければならない、というくらいにハードルが高いものということになるのではないか。そう考えると、この記事の締めの文、《来たるべきロボット社会で生き残るのは、なかなか容易ではなさそうだ》の、あまりの呑気さに驚く。
とはいえ、もし人が「お金を稼ぐ必要がない」ということになれば、多くの人にとってもオズホーン氏の言う通りの世界――クリエイティブというよりも、存在することそのものを味わうような世界――になるかもしれない。)
●「エコノミスト」に掲載された、経済学者の井上智洋の記事(人工知能が人間を超える日に備えよ)では、技術的失業が次のように説明される。
《長期的に経済成長率を上昇させるためには、技術進歩率を上昇させなければならない。技術進歩とは、1台の自動車を作るのに3人の人手が必要だったのが、新しいロボットの導入などにより、2人で済むようになるような生産性の向上である。(…) 先の例で、生産性が1.5倍になった場合に、消費需要が1.5倍にならずに変化しないならば、3人中1人は失業する。これが技術的失業である。》
経済成長のためには技術進歩が必要であり、しかし技術進歩は(それと同等の消費の拡大がなければ)必然的に技術的失業を招く。それでどうなるのか。
《(…) 長期的には、事務的な労働ばかりでなく、肉体労働や創造的な労働もロボット・AIに奪われていく。創造的な分野への労働移動という『機械との競争』の提案に従うだけでは、減り続ける仕事の争奪戦に全ての人々が参加し競争を繰り広げるバトル・ロイヤル状態が時を経るごとに熾烈なものとな》る。
「長期的には」と書かれているが、それはそんなに遠い先の話ではない。
《(…)2045年頃のAIは、一部の天才のなし得る仕事は真似できなくても、平均的な人間の頭脳は上回っていると思う。経済学的意義を議論するにはそれだけで十分で》あろう。
つまり、羽生以外の人はAIで代替可能となる、と。そしてどうなるのか。
《単純化のために、資本家と労働者とに分けて考えよう。未来においてはロボットが商品を作る無人工場があって、それを所有する資本家のみが所得を得て、労働者は全く所得を得られない。それでいて、ロボットの材料である金属やそれを稼働させる電力、工場の立っている土地などは有限なので、商品の価格はゼロにはならない。図のように、ロボット・AIに対する需要が増大するにつれて、それを所有する資本家の所得も増大していく。一方、人間の労働需要が減少していくにつれて賃金も減少していき、最後にはゼロになる。この長期的傾向は、フランスの経済学者ピケティが『21世紀の資本論』で示した「資本分配率の上昇による格差拡大」という実証結果と整合的である。》
そして、このようなディストピアを避けるためにベーシックインカムの導入は不可欠であるとする。
《BIは、優れた社会保障制度であり、筆者はできる限り早くこれを導入すべきだと考えているが、シンギュラリティに至れば、この制度は不可欠なものとなる。全ての労働者が、BIなしに生活できなくなるからだ。そして、シンギュラリティから巻き戻して、より近い未来について考えた場合に、拡大し続ける所得格差を埋めるためにもBIが必要なことが理解できるだろう。》
●井上さんには是非、ピケティ本の翻訳出版の波にのっかれるくらいの早い時期に、例の「AI(人工知能)とBI(ベーシックインカム)」についての本を出していただきたいと思う。