●『トーク・トゥ・ザ・デッド』(鶴田法男)をDVDで。
この映画にはすごくダメでバカな女の子が出てくる。勿論、主役ではなく、「主人公に死者と話せるアプリがあることを知らせる」という物語上の役割を終えると、それ以上は物語に大した爪痕を残すこともなくあっさり死んでしまう。この女の子は、この映画の登場人物のすべてから軽く扱われている。この女の子は、明らかに死を仄めかす電話を主人公にかけるのだが、主人公はそれに対してこれといった行動を起こすでもないし、心配するわけでもない。
(主人公にものっぴきならないハードな事情があるので、それを責めることは出来ない。もし主人公に余裕があれば、当然彼女のことを心配しただろう。しかし主人公はそれどころではなかった。つまり、「偶然」さえも彼女を軽く扱うのだ。)。
そして彼女は、それもまあ仕方がないかと思わせてしまうような人物だといえる。彼女は本当に頭が悪いし、自分が誰からも疎まれていることを知っているから、少しでも親切にされると過剰にその人にすり寄ってしまって、数少ない親切な人からもうざがられることになる。いいように利用され、お金をたかられても、その人から頼られていると勘違いしてしまう。
この映画は、作品として、あるいはホラーとして、特に面白いというほどのことはないと思う。鶴田法男監督だから、それなりにちゃんとしたものではあるけど、「それなりにちゃんとしたもの」でしかないとも言える。でも、この映画を観ると、このような「徹底してダメでバカな女の子」が、この世界のなかに確かに存在するのだ、というとても強い感情に掴まれる。だからどうだということではないし、それが心に強く刻まれたからどうなるということでもないのだが、確かに存在するのだ、ということが強く刻まれる。
繰り返すが、この映画のなかでのこの女の子の役割は決して重要なものではない。つまり、この映画はこの女の子の存在を表現するためのものではなく、この女の子は、映画自身からも軽く扱われているとさえ言える。しかしだからこそ、この映画は、この女の子の存在を強く際立たせる。