●『SPEC 零』を観たのだが、大したネタもないのに無理やりに引っ張っているのがミエミエで、お話も演出もどうしようもなくグダグダなのに、それでもなんとなく最後まで観られてしまうのは、キャラクターの魅力というか、魅力的なキャラが成立しているというその一点によるのだと追う。
脚本や演出、俳優の容姿や演技力、あるいは作品の設定、という個別の要素には還元できない、トウマ、セブミ、ニノマエ、ノノムラというキャラという一つの単位の成立、というか創発。それは、どんな役を演じても、高倉健高倉健だし木村拓哉木村拓哉だ、ということとは違って(しかしそれは、俳優=キャラが成立しているということではあるが)、トウマというキャラが創発されるためには戸田恵梨香という存在が不可欠だったとしても、いったん「トウマ」が成立してしまえば、上手くハマりさえすれば、戸田恵梨香以外の二代目トウマもあり得るかもしれないという、現実とは別の次元にあり、しかも実在する、というような何か(抽象的実在物)だと思う。
トウマ、セブミ、ニノマエ、ノノムラというのは、本当に稀有な、面白いキャラだとぼくは思う(例えば、『ケイゾク』のシバタは、シバタというキャラであるよりは、やはり中谷美紀であるということの方が強いと思う)。これらのキャラを成立させることが出来れば、とにかく一定の面白さは保障されるのだから、ネタが枯渇していたとしても、シリーズを引っ張れるだけ引っ張るというのは正解だと思う。これだけ稀有なキャラは、そうそう創発されるわけではないのだから。
しかし、とはいっても、せっかくこのような稀有のキャラがあるのだから、そのキャラが存在する「作品」そのものを、もうちょっと充実させる努力をしてほしいと思ってしまう。