●『トランセンデンス』をDVDで。つまらないとかダメだという話を事前にさんざん聞いていたのだが、観始めてしばらくは、そこまでひどくはないのではないかと思っていた。しかし話が進むにつれて、あー、これはやはりダメだったと分かる。
つまらない物語は何故つまらないのだろうか。作品をけなすためではなく、その点について考えるためにもう少し書いてみる。ネタバレあり。
この映画がカーツワイルの本に刺激を受けてつくられているのは明らかで、まず「強いAI」の話が出てきて、次いで「意識のアップロード」がきて、さらに「GNR革命(ゲノム・ナノ・ロボット技術の革新)」によって病気や障害をもつ人たちが蘇生するという話になり、さらにナノテクが地球全体の環境を変えてしまうという話になり、死者が新しい身体で蘇るという話になる。でもこれらは皆、ほぼそのまま本から引っ張ってきた話題が話の上っ面にひっかけられているだけで、それらの「新しい話題」が、物語の構造や根幹に届いていない。
物語の基本は、テクノロジーによって世界を変えようとする主人公とその妻という天才夫婦がいて、それに対し、反テクノロジーの立場で活動するテロリストたちがいて、その両者を監視している政府関係の人たちがいる、というありがちな三つの陣営の抗争という形になっている。テロリストに殺された天才科学者はその意識をアップロードしてネットにつなげることで最強の存在となり、その情報的優位性によって得られる莫大なお金をつぎ込んで技術開発を押し進める研究所をつくる。テロリストはその研究所の存在に気づき攻撃しようとする。主人公の力があまりの大きなものとなったことを危険視する政府もテロリストにのっかろうとする。
構図の単純さはエンターテイメント的な物語としてはよいことなのかもしれないが、構図が単純な上に展開に工夫もひねりもない。工夫のない展開の上に、カーツワイルの本からとってきた様々なトピックがのっかっているだけ、という感じになっている。さらに、カーツワイルの本を読んでいないと、映画に映し出されている技術がどういうもので、何がどうすごいのかということもよくわからない。何故、怪我をした人がみるみるうちに治ってゆくのか、何故、空気中を飛んでいるキラキラしたものが壊れた太陽光パネルをみるみるうちに修復してしまうのか、その理屈も原理も映画だけでは分からないから、「天才科学者は天才だから、何かすげー技術を開発したのだろう」ということにしかならない。それだと「何でもありの魔法」とまったく同じだ。
おそらく、この物語がつまらない理由は、(1)この物語において、「強いAI」が問題なのか「意識のアップロード」が問題なのか、「AIと人間の融合」が問題なのか、あるいは「死の超克」が問題なのか、が、はっきりしていないこと。というか、どれ一つとっても「それを話題にした」という程度で、「何が問題なのか」というところまで展開されていないこと。(2)圧倒的に強い力をもつ主人公に対して、それと対立する陣営があまりに脆弱である上に「策」がなさすぎて、抗争になっていないこと。例えば、絶対的だと思えた力の意外な弱点をつく、というようなアイデアがない。ウイルスで……、って、それ誰でも思いつくでしょ、という感じ。(3)強力になりすぎた主人公+AIが、どうして、どのように危険であるかの描写が充分でないので、AIのヤバさが出ていないこと。せいぜい、妻を管理し過ぎていてキモいとか、治療した人を自分のいいように支配して利用しているのがヤバイとか、その程度で、でもそれって成金カルト教団の教祖くらいのスケールだよね、と感じてしまう。つまり、「強いAI」の脅威という問題が、カルト的な集団の脅威と同質のものとしてしか把握されていない。(4)「すごい技術」の根拠がチラッとさえも示されないので嘘くさい魔法としか思えないこと。小教団の教祖がいきなり、オレ様の魔法で地球の環境を変える、とか誇大妄想的に言い出しているようにしか感じられない。などだと考えられる。
ここで、(2)と(4)は、たんに物語を語る(組み立てる)技術の問題だと言えるけど、(1)と(3)は「世界観」の問題で、導入された目新しい主題(話題)に見合うような目新しい世界観を構築できていない、あるいは、紋切り型の世界観を揺るがすことが出来ていない(つまり、「目新しい要素の導入」によってはじめて見えてくる「問題」がたてられていなくて、従来からよくある「問題」にすり替わっている)、ということだと思う(おそらくここが『her』との決定的な違いだと思う)。
ここでは、新しいテクノロジー(新しいネタ)によって、新しい世界観が形作られているわけではないし、テクノロジーが面白い展開を導き出す装置として機能しているわけでもない。だから、この映画をつくっている監督や脚本家はカーツワイルの本から問題を的確に読み取ることができていないということだと思う。
ネタが面白いだけでは、面白い物語にはならないのだなあ、楽はできないのだなあと、思うのだった。
(とはいえ、テクノロジー推進派と反テクノロジー派との間の摩擦や対立は、今後激しくなってゆかざるを得ないのだろうし、研究施設や科学者を狙ったテロなども十分予想されるのではないか。その部分はリアルだと思った。だから、映画の最初の部分はけっこう面白い。その時、反テクノロジー派でさえ、テクノロジー推進派とたたかうためにはテクノロジーを使用しないわけにはいかない、という矛盾が生じる。映画でもジョニー・デップがその点を指摘していた。)