●「WIRED」の量子脳理論の記事のところに、ハメロフによる次のような発言が書かれている。
《ロジャーとふたりで計算してみたんだ。意識の統合に必要なニューロン数はだいたい300。すると意識の瞬間は1分間に1度ほどになる。生物のサイズがこれだけのニューロンをもてる時代に遡ると、小さな芋虫ほどの大きさになる。つまり5億4000万年前のカンブリア爆発の時期にあてはまるんだ》。
5億4000万年前の芋虫が、地球上ではじめて意識を持った? 観測者の誕生。一分につき一瞬の「意識」とともに目覚めた芋虫は、その時どう感じただろうか。
●科学とは、宇宙の自意識あるいは自己言及である、と考えるならば、宇宙は、自意識をもつために、人間という観測者を必要とした。宇宙が考える、というとき、観測者は人間であり、媒介は、数学、物理学理論、様々な観測および実験装置であり、対象は宇宙である。宇宙が宇宙について考えている。
●ぼくが理解している範囲でざっくり言えば、通常の量子論の考えでは、ミクロの物質は、粒子であるのと同時に波であり、同時に複数の場所に存在している。だが、それを観測しようとすると、必ずそのうちの一つの状態に決定されてしまう。この「波動関数の収縮」が、何故、観測によって起こるのかを物理的に記述することはできない、ということになっている(と、理解している)。
だが、(「WIRED」の記事からぼくが読み取った理解に過ぎないが)、ペンローズとハメロフの理論では、「波動関数の収縮」は、並行宇宙間のエネルギーの歪みによって自発的(客観的)に起り、その波動関数の「自発的(自己)収縮」こそが「意識(≒観測者?)」の源泉である、という風になる。つまり、観測する意識が収縮を起こさせるのではなく、収縮が起きるところに、観測者の意識(の萌芽)が生まれる、ということになろう。そして、波動関数の自発的収束はいたるところで起きていることになり、それは、あらゆる物質、あらゆる空間に「意識の萌芽」が散らばっているということだ。だがそれだけでは、意識(の萌芽)は、刹那的、散発的で統合や文脈、連続性を欠いているから、それを統合する器官として脳が必要になる。
《脳内には、自己収縮がランダムにおこらないような仕組みがある。そして、記憶や、シナプスからインプットされた外部刺激の情報が、あたかもオーケストラのように微小管内で重なり合って統合され、リミットを抑えると同時に自己収縮するんだ。それが知覚したものに意味をもたせる顕著意識の「瞬間」になるんだよ。》
●ここで、脳内に起こる量子論的過程を制御する器官(脳内量子コンピュータ)として「微小管」が予想されている理由は、ハメロフによる麻酔の研究からだという。麻酔は、きわめて選択的に、脳の機能のなかで「意識」だけを消失させる。
《これまでの研究によると、ニューロン樹状突起の微小管にあるチューブリンの隙間に麻酔薬の分子が嵌まり込んで、意識に必要だと思われる双極子的な振動を分散させていることが示唆されている。となると、微小管の働きは意識の発生に重要な役割を果たしているはずだとハメロフは考えた。》
●ならば、意識の統合とまでいかなくとも、ゆるい制御(ぼんやりした意識)であれば、微小管があれば脳がなくもよいかもしれない、ともなる。臓器にも意識が宿る?オカルトっぽいことでも結構平気で言うハメロフの言葉。
《昔、移植手術に何度か関わったんだが、レシピエントが手術後、途端にダンス好きになったことがあったんだ。そのときのドナーがダンサーだったんだよ。心臓にはニューロンがあって、そこには微小管がある。提供者の意識というのか記憶みたいなものが、微小管のなかで生きているのかもしれないな。》
●前にも書いたけど、この話が、現時点でどのように評価されているのかがとても気になる。奇才(あるいは門外漢)によるユニークな説、というような位置づけなのか、それとも、「ひょっとすると、ひょっとするかも」という感じで有望視されているものなのだろうか。あるいは、現在の技術的な水準で、どの程度まで検証可能で、どこから先は検証不能なのだろうか。