●「自然言語で考えたり書いたりしている時点で、そもそもそれは論理的ではあり得ない」という言葉に、衝撃を受け、納得を得た。
●『イミテーション・ゲーム』についての感想(一昨日の日記)で書いた、論理的に考えることと社会的に考えることは違っているのだけど、それがしばしば混同されている、というのはけっこう重要な(深刻な)ことかもしれない。
ざっくりした言い方だが、社会的に考える時、論理的には間違うことが多く、論理的に考える時、社会的には間違うことが多い、のではないか。そして、自然言語で考える時、それは自動的に社会的に考えることになってしまう、ということではないか。論理的に考えようとすれば、形式的言語(論理式や数式)を用いるしかない、と。