●アンスティチュ・フランセでのイベントの後で、呪いとしての身体というモードと故郷としての身体というモードがあるという話を、掬矢さんとしていた。呪いとしての身体とは、わたしがこの身体を持っているという固着性から、いかにして逃れ、可塑性や多様性へと開かれてゆくかを探るモード。故郷としての身体とは逆に、あまりにもとりとめのない、多様に開かれたネットワークとしての現実において、このわたしの身体という限定性や有限性を根拠とし、故郷とするモード。
この二つのモードは排他的ではなく、一方から他方へと移動可能であり、そしてVR装置の発展などにより、今後ますます、行き来が自由になるように思われる。さらに、この呪いと故郷という二つのモードの行き来のなかから、アウト・オブ・ボディ・エクスペリエンスが生じるのではないかと思われる。つまり、呪いと故郷と幽体離脱という三項関係が、このわたしの身体の上で成り立つと考えられる。
呪いと故郷と幽体離脱という三つの項の行き来が自在になることが可能ならば、「死ぬこと」がそんなに怖くなくなることも可能かもしれない。