●図書館の帰り、ファミレスで本を読んでいたら、隣の席の高校生(おそらく高校一年生)の二人組が、中学の時は良かった、中学時代が懐かしいという話をしきりにしていた。電車のなかとかでも、高校生が中学時代を懐かしんでいる会話を聞くことは多いように思う。遠い昔だけど、ぼく自身も、高校生になったばかりの頃に、中学時代に対する強いノスタルジーを感じていた記憶がある。中学時代は、この学校最低だなといつも思っていたし、自分がいる環境に対して怒りしかなかった。対して、入学した高校の自由でのんびりした雰囲気は悪くないと思っていた。にもかかわらず、無性に(ほんの数か月前の)中学時代が懐かしく思い出された。
常識的に考えれば、私立ではなく公立の学校なら、小学校と中学校は住んでいる場所で自動的に決定して、ほぼ地元と地続きだけど、高校はそうではないから、かなり大きな環境の変化があり、その変化がノスタルジーを呼び起こすと考えられる。
しかしそれより、十代くらいの子供は意外に後ろ向きで、やたらと「想い出」を大事にして反芻するという傾向があるという方が強い気がする(小学生くらいはそうでもないが、思春期になると急に過去の記憶の価値が重くなって、過去を粉飾するような心理的傾向が出てくるように思う)。で、この、過去を大事にして美化するノスタルジーへと傾く強い傾向性が、「うちらの頃」と「今の子」との(本当は大差ない)差異を大きく見積もらせて、世代間対立を生み出す感情的な基底となってしまうような気がする。差異はちっちゃい程気に障る、ということもある。ノスタルジーそのものは大して問題ではないと思うけど、「うちらの頃」と比べて「今の子」は違う、みたいな感情の回路に入りかけていると自覚できたら、それは不毛だからと意識して切断する必要があると思う。
(つまり、下の世代への反発は、上の世代への反発と心理的な機制が異なっているように思う、ということ。)
●『貧乏人の経済学』にすごいことがさらっと書いてあった。1996年の世界食糧サミットでは、世界の食料の総生産量で、地球上のすべての人に一日あたり2700キロカロリー供給可能であることが宣言される。つまり、飢餓の問題は生産力の問題ではなく分配の問題となる。そしてそれは、《(…)農業科学の分野における偉大なイノベーションのおかげも確実にありますが、それ以外に16世紀にペルーでスペイン人がジャガイモを発見してヨーロッパに持ちこみ、それが食習慣に取り入れられたことなど、もっとつまらない要素に負うところもあります。ある研究によれば、1700年から1900年の人口増加のうちの12パーセントはジャガイモによるものだとか。》
ジャガイモすごいな。