2022/04/19

●『東京戦争戦後秘話』(大島渚)をU-NEXTで観た。高校生の時、『戦場のメリークリスマス』の公開があって、そのタイミングで確か巣鴨(ではなく千石、記憶違いだったらしい)の三百人劇場というところだったと記憶しているが、大島渚の特集上映があった。高校生だったぼくは、学校をサボったりして何日か通った。『東京戦争戦後秘話』はその時に観た何本かの大島渚の映画のなかでも強いインパクトを受けた一本だった。おそらくその時以来に観たのだが、今観ると、あれ、イマイチかな、と感じてしまった。これ「雰囲気前衛」だよね、と。原正孝(原將人)のつくった話を、どう撮ったらいいのか掴み切れていなかったのではないかとも思った。高校時代の自分がこういう映画を好きだったというのは納得するが。

そしてちらっとだけだが、これってもしかすると自主映画時代の大林宣彦を意識しているのではないかと思ってしまった(根拠のない思いつきです)。

(金子遊によるインタビューだったと思うのだが、大林宣彦が『伝説の午後・いつか見たドラキュラ』について大島渚から「あんなのは少女マンガで下らない」と批判されたと語っている。『伝説の午後…』は、自主製作ながら全国のほとんどの大学で上映され、若い観客を多く集め、様々な映画人から反響があった、と。しかし大島渚には軽く扱われた、と)

『東京戦争戦後秘話』は1970年。大林の『伝説の午後・いつか見たドラキュラ』が66年で、『遥かなるあこがれギロチン恋の旅』が68年だ。大林の作品では、映画というメディア自体がノスタルジックな対象として扱われ、故郷の尾道の風景への強い愛着、そして、少女や女性のイメージに対する強い幻想が、これでもかと濃厚に散りばめられる。対して、『東京戦争…』では、存在するかしないか分からない「あいつ」が残した遺書としてのフィルムには、意味のない、東京の薄汚い風景が映っているばかりだ。また、登場人物たちは映画を、ノスタルジーを惹起させるものではなく政治的な闘争のなかで役割りを果たすものと考えている。そして、少女への幻想ではなく、即物的であけすけな性行為や性暴力の描写がある。いちいち大林の逆を行っているような感じ。また、若い自主映画作家であった原正孝(原將人)が脚本家として迎えられているのも、大林への対抗のようにもみえる。

とはいえ、原正孝(原將人)によってつくられた話は、大島渚よりもずっと大林宣彦に近いと思う。この話は結局、自分が自分の影を追いかけ、自分の影に追いかけられるという話で、構造としても円環的、幻想的に閉じられている。いかに大島渚が、ザラザラした感触の短いカットを重ね、職業的な俳優ではなく「グループ・ポジポジ」という実際に学園紛争のなかで映画を作っている集団に役を演じてもらったり(原正孝はグループ・ポジポジのメンバーだったらしいが)、デモのドキュメンタリー映像を混ぜ込んだり、運動に関する論争を生々しく導入したりしたとしても、それらは「わたし=あいつ」という円環構造の内側に閉じられ、現実的生々しさは背景にしか見えなくなる。むしろ、「現実」よりも「わたし=あいつ」構造の方が強くなってしまっている。撮っている映像や語られる言葉と、物語の構造が食い違っていて、そして結局は物語構造が勝っているようにみえる。

一見、現実的な生々しさや、思想や形式の過激さを前面に出すようでいて、結局それを「センチメンタルな私(の実存)」の側へと還元してしまうような傾向をもつものが「雰囲気前衛」であり、そういうものをぼくは嫌いだ。「過激」を売りにする人に「雰囲気前衛」の人はけっこう多いと思う。大林宣彦は、はじめからあられもなく「自分の欲望」丸出しなので「雰囲気前衛」ではなく(キツいところは多々あるとしても)それよりも常に強いと思う。

(原將人も大島渚も、決して「雰囲気前衛」の人ではないと思うが、二人が組むことでそうなってしまったのだと思う。)