2023/12/06

⚫︎『無理心中 日本の夏』(大島渚)をU-NEXTで。久々に観たけどすごかった。冒頭部分は、いかにも古臭くなってしまった前衛映画みたいでややしらけるのだが、女と男がヤクザと合流するあたりから、ひたすら痺れる展開が最後まで続く。大島渚のなかでも一際好きな作品で、類い稀な雑草映画でもある。抗争のためにかき集められたヤクザたちが待機する倉庫のような建物や、その周囲の郊外の風景の多くの部分を占める「生い茂る真夏の雑草」が、高度成長真っ只中の日本の郊外(どこでロケをしているのだろうか ?)の荒んだ感じを際立たせる。雑草が、ただただ素晴らしい。

(モノクロで捉えられたこの雑草は、リヴェットやゴダールの映画に現れるフランス的な光の元にある緑とはまったく異なる表情=表現性を持つ。)

『日本の夜と霧』などを観ても強く感じるのだが、(60年代の)大島渚の映画の作劇というか、場面の成り立たせ方、時間や空間の分節の仕方は、基本としてとても演劇的で、それは、発想のはじめからカメラの存在とモンタージュを前提としている吉田喜重とは根本的に異なると思う。でも、その演劇的に組み立てられた場面に、カメラや実景が介入することで、映画としか言えない時空が立ち上がる。カメラはあくまで後からやってくる感じだが、その後から来たカメラが演劇的時空を決定的に変質させる、という感じ(ただ、この映画に関しては、決して演劇的には組み立てられない、終盤の銃撃戦の部分も素晴らしいのだが)。

(最近ますます、60年代の大島渚吉田喜重がいかにすごかったかということを感じるようになった。たとえば、大島渚がいなかったらアンゲロプロスのあのスタイルはあり得なかったのではないか、とか。)

もう一つ、この映画は(希死念慮映画として)、北野武の『ソナチネ』の源流のような作品でもあると思った。この二本を並べて観ると面白いのではないかと思うが、しかし、よほど元気な時でないとヤバいかもしれない。