2019-08-21

U-NEXTで『みな殺しの霊歌』(加藤泰)。時代劇、任侠物、股旅物などをつくってきた撮影所の職人監督が、(68年当時の)「現代」的なテイストの映画をつくる。しかも、独立プロダクションでつくったのではなく、松竹というメジャーな会社で(独立プロ的テイストを模倣するかのようにわざわざモノクロで)このような映画をつくったということは、当時の、松竹ヌーヴェルヴァーグ以降の新興の独立プロダクションや、若松孝二などピンク映画の存在が、文化的なレベルだけでなく、興行的なレベルでも、メジャーにとって無視できない勢いとしてあったことを表しているのだろうか。

加藤泰の映画だから立派なものではあることは確かだけど、それでも、どこか流行(時代)に日和った感じを受けてしまうことを否定できない。現代的風俗の採り入れ方が中途半端だとか(食堂の長髪の青年の描写とか)、警察の存在の仕方が観客への説明(いいわけ)のためにあるような感じになってしまっているとか、「振り切れていない感じ」を感じてしまった。ハードで暴力的な、暗い階級闘争の話だと思うのだが、そこに山田洋次的な---山田洋次はこの映画に「構成」という役割でかかわっている---庶民派左翼的要素がうまく混じらないまま同居している感じ(自殺してしまった少年が働いていたクリーニング店や近所の食堂の描写、少年が好きだった曲が「いつでも夢を」だったりすること、など)

(単純に、同時代の大島渚鈴木清順はもっと振り切っているよなあ、と思ってしまった、ということ。)

ただ、それが必ずしも作品を弱めているということでもない。むしろ味わい深いものにしているとも言える。特に、この映画の倍賞千恵子の存在はとても面白いと思った。倍賞千恵子は、冷酷な殺人鬼と化した佐藤允が唯一心を開く女性として出てくる。彼女は最初、食堂で働く、けなげで明るい「下町の太陽」的な、いかにも庶民派左翼的ヒロインであるかのように登場するのだが、実は彼女には、繰り返し家族を苦しめるどうしようもない不良の兄がいて、ある時にあまりに酷い行いに思いあまって兄を殺してしまい、その罪で執行猶予中であるという背景が明らかになる。無理矢理につなげたかのような表と裏の大きな落差は、この映画の混じり合わない要素の齟齬から生まれたものかもしれないが、それによって倍賞千恵子の演じる人物が重層化、立体化され、強い印象が付与される。

この映画が公開された1968年は、テレビドラマ版の『男はつらいよ』がスタートした年でもあり、そこでもヒロイン「さくら」にはどうしようもない兄(寅さん)がいる(テレビ版「男はつらいよ」では、さくら役は倍賞千恵子ではなく長山藍子だが、翌年---1969---に公開される映画版では一作目からさくら役は倍賞千恵子になっており、後に国民的な映画となるこのシリーズにおいて、さくら=倍賞千恵子と言ってよいだろう)。勿論、兄思いのさくらは寅さんを思いあまって殺したりしないのだが。とはいえ、『みな殺しの霊歌』の春子=倍賞千恵子もまた、兄思いでなかったはずはないと思われる。

(テレビ版の寅次郎は、最終話で奄美大島でハブに噛まれて死んでしまう---ウィキペディアより)

表のキャラクターとしての倍賞千恵子は、『みな殺しの霊歌』においても「男はつらいよ」同様のさくら的なヒロインであった。『みな殺しの霊歌』における倍賞千恵子の表と裏を媒介とすることで、『みな殺しの霊歌』の倍賞千恵子は、置かれた状況によっては(兄を殺さなかった)男はつらいよ』の倍賞千恵子であり得たかもしれないし、『男はつらいよ』の倍賞千恵子もまた、状況によっては(兄を殺した)『みな殺しの霊歌』の倍賞千恵子となってしまったかもしれないという交換可能性が惹起される。

北海道から東京に出てきた労働者の男が五人の有閑マダムを次々と惨殺するという陰惨な『みな殺しの霊歌』のなかに、溶け合わない要素として『男はつらいよ』的なものが含まれているとすれば、「男はつらいよ」シリーズの内にも、『みな殺しの霊歌』のような匂いがどこかに潜在しているのではないか。『みな殺しの霊歌』を観ることによって、春子=倍賞千恵子とさくら=倍賞千恵子を交換可能とする倍賞千恵子という存在による媒介的横断によって、そのような感覚が生まれる。

日本の六十年代終盤という時代における表象のありようにおいて。

(「沓掛時次郎」のような映画をつくっていた加藤泰---しかも松竹で---1968年には『みな殺しの霊歌』をつくった。おそらくそのような時代の要請があったのだろう。一方、同じ年に「男はつらいよ」のプロトタイプとなるテレビ版がつくられており、同作は松竹を支えるような、国民的なシリーズとなっていく。加藤泰も、この後は東映京都で「緋牡丹博徒」シリーズ---東映の既定路線である任侠物---をつくることになる。従来通りの撮影所の既定路線に戻っていく。)

(つまり『みな殺しの霊歌』は、メジャーな映画会社とその外にあったインデペンデントな流れとの一瞬の交点のように存在し、故に折衷的な中途半端さは感じられるものの、折衷的であることによってはじめて生じる---伝統的メジャーとも新興のインデペンデントとも違う---ある種の特異性が獲得されているように思われる。この折衷的交錯は、1968年という時代によって要請され、実現したものなのではないか。)