2020-08-24

●U-NEXTで『勝手にしやがれ!! 脱出計画』を観た。ひさしぶりに観て意外に思ったのは、黒沢清としては例外的だと思うのたのけど、この作品では映画の舞台と実在する土地とが積極的に結びつけられていた。

まず、「谷中ぎんざ」という商店街の名を示す看板がフレーム内に示される。次に、(これがとても意外だったのだが)吾妻橋にあるスーパードライホールがはっきりと背景に映り込んでいる。あきらかに例のオブジェを、狙ってフレームに入れている撮り方がされている。さらに、芸大と上野公園が、芸大と上野公園としか見えないような形で撮影されている。

黒沢清は多くの場合、たとえば「東京」と分かる土地を撮るとしても、明確にある特定の土地のランドマークとなるようなものはフレームから排除して、土地の匿名性のようなものをあらわそうとする傾向があるように思う。しかしここでははっきりと、かなり狭い範囲の「ある特定の一帯」が舞台であることが積極的に示されている。

「脱出計画」は、六作つづく「勝手にしやがれ!!」シリーズの二作目で、95年につくられている。だから、まだこの時期の黒沢清には、土地の匿名性をあらわすという明確な方向性をもっていなかったと考えることもできる。しかし、一作目の「強奪計画」では、(下町であることは示されるが)具体的に、吾妻橋から谷中に至る一帯であることを明確に示すものは、特に映り込んでいなかったように思う。それに、土地の匿名性へのこだわりも既にあるようにみえる。

勝手にしやがれ!!」シリーズは(というか、Vシネマ多作期の黒沢清の作品の多くは)、二本分の脚本をもって撮影に入り、一度に二本の作品を同時に撮影していたと聞く(制作費削減のため)。「強奪計画」と「脱出計画」とは同時に撮影されたと思われる。ここで、同時に撮影される二本の作品が混じり合わないように、意識的に異なるコンセプトで演出がなされたと考えることもできるのではないか、と思った。「脱出計画」では、意識的にいつもと違うことをやろうとしたのではないか。

(とはいえ、最後の方に出てくる海=港などは、「どこだか分からないどこか」なのだが。)

(ラストで、哀川翔前田耕陽は、オーストラリアに旅立ったようにみえるが、旅立たなかったととることも可能だ。もしシリーズの最初の二本が好評であれば、これ以降もシリーズはつづくので、二人は日本にいなければならないし、あまり好評でなければ、シリーズはここで終わりなので、旅立った方が終わりとしてすっきりする。つまりこの終わり方は、この時点ではまだシリーズの先行きが不確定であったことを示しているのだろうと思った。)