2022/01/12

●(一昨日のつづきで)蛇足だけど、『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(ケリー・ライカート)の三つのエピソードのうち、一つ目と二つ目は、「え、ここで終わるの」という、おさまりの良くないところ、階段がもう一段あると思って足を出したら地面で足がかくっとなるみたいに終わる。まるでラカンの短時間セッションみたいで(いや、受けたことないけど)、余韻というよりは、解決する行き場のなくなった無意識が勝手に動き出すみたいな終わり方だ。

それに対して三つ目のエピソードは、え、まだ終わらないの、そこを深追いしちゃうのまずいんじゃないの、という感じでなかなか終わらない。ここまで深追いしたら良くない結末しか見えないけど、このエピソードをどうやって終わらせるのだろう、なにかきれいに終わらせるアイデアがあるのだろうか、と思ってみていると、そこに驚くべきアイデアがあるわけではなく、予想したまったくその通りの嫌な結末で、「それはそうなるだろうけど、うわー、そこ、救わないんだ」と苦い気持ちになる。きれいないい話では終わらせない、あえての「予想通りの結末」で現実の苦さを(改めて再確認されられるかのように)味わうことになる。

だからこそ、最後の追加エピソードはない方がいいのではないかと思う。特に、一つ目のエピソードにオチがついたみたいになってしまうのは、この映画のそこまでの流れからすると納得できないなあと思ってしまう。

(一つ目のエピソードのオチが、この映画における「救い」の部分なのかもしれないが。)