⚫︎ヤバいDJ屋さんというYouTubeアカウントに引っ張られて、ノスタルジーモードで一日が過ぎた。
素晴らしい(なぜかビーチボーイズが混じっている)。シンバルズ、改めて素晴らしいな。そしてカジヒデキは革命。
渋谷系っぽいというより(広義の)渋谷系の中の人が参加している曲という感じか。
Vol.1★★渋谷系っぽい★★90年代女子アイドル★ソング MIX ◆90s japanese female pop Idol Songs Lounge Style - YouTube
昭和歌謡のカバー。小野リサによる中村あゆみ ! 、桃井かおりのチェッカーズはモノマネのネタとかじゃなくてマジなのか。倖田來未による米米クラブ、意外に良かった。
泣きそう。前川陽子のボーカルは性的なトラウマに近い何かだ。70年代の魔法少女は小学生設定でも大人っぽいのに(「魔女っ子メグちゃん」「魔法のマコちゃん」「魔法使いサリー」)、80年代に入ると、はっきりあからさまにロリータ化するのだなあ、と思った。なぜ、何の意味もない「魔法の呪文」を今でも覚えているのか。
昭和★魔法少女★アニメ・特撮ソング★MIX - YouTube
⚫︎なぜ、カジヒデキは革命なのか。音楽というよりもイメージの話。まず、当時、成人した男性がおかっぱで半ズボンはかなり特殊だった。そして「可愛い男の子」は馬鹿にされる傾向がまだあった。例えばフリッパーズギターは、完璧におしゃれで完璧に可愛い男の子で、さらに頭が良くてシニカルで口が悪くて、つまり防御が完璧でつけ入る隙がない。しかしカジヒデキは、(こういう言い方はなんだが)完璧ではなく「微妙」だった。お笑い芸人に「お前、おしゃれで可愛い風でやっとるけど、正直微妙やぞ」と突っ込まれてもおかしくない感じを出していた(「可愛い」と言ってもソロデビュー時点でもう30歳になっていたのだし・小沢健二、小山田圭吾より年上なのだ)。つけ入る(いじられる)「隙」をむしろ積極的に作っている感じすらある。微妙さを取り繕うこともなく防御的になることもなく、無防備にそうであり通す。
新しいものは同時代では必ず奇異に見えるはずだが、明確に奇異に見えるような分かりやすさではなく、それが掴みづらい「微妙さ」として現れており、それを「分かりやすく」しないで、それとして(隙やツッコミどころの多いまま)貫くことこそが革命的だった。吉田豪は「童貞感」という表現をしていたが、30歳になってもなお「童貞感」を出していく感じ(恋愛至上主義、異性愛中心主義が今よりずっと根強い90年代に、そうするのだ)。フリッパーズギターよりも、守りを固めていないという意味でより「攻めて」いたしより「尖って」いたと思う。棘を作らないという尖り方。
(フリッパーズギターの二枚目のアルバムからカジヒデキのソロデビューまでには7年くらい間がある。その間の時代の変化もあるだろう。)
(小沢健二のソロには、強く押し出すことによって反論を許さないような「圧の強さ」があるのだが、カジヒデキはそこで「強さ」を出さないところが革新的。強さを出さない男は舐められる的世界で「強さ」を出さないことの過激さ。)
(しかしカジヒデキの出自は、バイオレンス色の強いパンク、ハードコアだったりする。出典「豪の部屋」)
97年の日本で下のMVがいかに「攻めて」いたのかという感じが、今では分かりにくくなったと思う(「微妙さ」はもう見えない)。それは、初期の保坂さんの小説がいかに「攻めて」いたのかということが、今では分かりにくくなったことと似ているかもしれない。
ラ・ブーム~だってMY BOOM IS ME~ / カジヒデキ【Official Music Video】 - YouTube
比較対象の選び方が恣意的かもしれないが、(髪型がおかっぱにやや近い)95年の堂島孝平のデビュー曲のMVはこんな感じ。まだ18歳ということもあるだろうが、柔らかいポップなセンスの中にも男の子っぽいイキってる感がある。
カジヒデキと同い年の草野マサムネの97年はこんな感じ。イキらない感じは共通しているが(あくまでもMVの中のイメージとして、だが)大人だし落ち着いていて、舐められる(自ら舐められに行く)感じはない。
フリッパーズギターの、突っ込む隙を与えないガードの硬い完璧さはこんな感じ。これは90年。
CAMERA! CAMERA! CAMERA! - カメラ!カメラ!カメラ! - / FLIPPER'S GUITAR【Official Music Video】 - YouTube
⚫︎97年当時のぼくは、カジヒデキに衝撃を受けつつも、音楽としてはオリジルラブとピチカートファイブが好きだったのだが。
GOOD MORNING GOOD MORNING/ORIGINAL LOVE【Music Video】 - YouTube