●アマゾンプライムに入会すると自動的にアマゾンミュージックも聴けるようになるのだが、プライムだけでは曲数に限りがあって、さらに料金を足してアンリミテッドに入会しないと、あの曲もないのかこの曲もないのか、という感じになる。とはいえ、今まで使えなかったものが使えるようになって、いろいろ試してみるのは楽しいので、あの人のあの曲はあるのかと検索してみて、ああ、アンリミテッドじゃないと聴けないのか、とかいろいろやってみるのだが、そのうちに、野宮真貴が歌っている松田聖子の「ガラスの林檎」に行き当たり、おお、これは意外だがなかなかいいのではないかと思い、その次にEPOの「音楽のような風」が聴こえてきて、この曲が八十年代に流行ったのは知っているし、なんとなく聴き覚えがあるけど、こんなにいい曲だっけ、となった。これらの曲は、野宮真貴が2015年に出した「世界は愛を求めてる。What The World Needs Now Is Love 野宮真貴、渋谷系を歌う。」というアルバムに入っているのだった。
「ガラスの林檎」や「音楽のような風」は渋谷系というより王道JPOPのように思うけど、野宮真貴の過剰に明瞭なボーカルは王道JPOPにすごく合うのではないかと思った。曲の良さがよりストレートに出る感じだし、格段に上品になる感じ。
(このアルバムではフリッパーズ・ギターの「ラテンでレッツ・ラブまたは 1990サマー・ビューティー計画」のカバーも収録されていて、この曲はカジヒデキとデュエットしているというか、カジヒデキのボーカルの方がメインだとさえ思えるのだが、このカバーもとても良かったので、本当に本当に久しぶりにアマゾンミュージックで検索してカジヒデキの「MINI SKIRT」を聴いた。こんなことがなければ「MINI SKIRT」を改めて聴く機会は一生なかったかもしれなかった。)
当時(90年代後半)、カジヒデキのルックスは---少なくともぼくにとっては---衝撃だった。今だったらああいう感じの男の子は普通にいるけど、当時としては相当に攻めていた。80年代に橋本治が『革命的半ズボン主義宣言』という本を書いていたけど、それには「インテリが言ってる」感がどうしてもあったけど、カジヒデキはまさにそれを体現している感じだった。
(カジヒデキとは同い年だが、当時もしぼくがあの格好で町を歩いていたら---そもそもまったく似合わないわけだが---絶対ヤンキーにカツアゲされたと思う。昭和とはかなり違ってきたとはいえ、まだ、男はイキって「男」を示さないとなめられるれるという時代だった。フリッパーズ・ギターの、誰もがすんなり受け入れられるだろう分かりやすい可愛さとは違って、あの、おかっぱと半ズボンにはかなりの違和感があったし、その違和感こそが革命的だった。)
(というか、ソロデビュー当時、カジヒデキは既に30歳くらいだというのも驚きだ。)
今観ると下のMVも普通におしゃれな感じにしか見えなくて、ここにかなりの違和感があったということが今ではもう分からなくなっている。