2022/09/20

●カクテルパーティー集中(カクテルパーティー効果)というのがすごく苦手だ。たとえば、居酒屋のガヤガヤした喧騒のなかで人と話すのがぼくにはとても難しい。背景音(地)としてあるべき喧騒の方が「図」となってしまい、相手の言葉に全く集中できない。同様に、音楽を背景音(BGM)として流しっぱなしにすることができない。何か、単純作業をする時に音楽をかけていると、音楽を聴くことの方に集中して手が止まってしまう。

だが最近、音楽をBGMにする方法を発見した。一つは(これはちょっと前に見つけて、この日記に書いたこともあるかもしれない)、アマゾンファイアで音楽を流すこと。ヘッドフォンもイヤホンも使わずに、アマゾンファイアから直接聞こえてくる音は、とても薄っぺらくてシャカシャカしていて、この音なら、集中を、強くは強いられない。

(スマホだと、もっと「いい音」がしてしまうからダメなのだ。)

もう一つはつい二、三日前に発見したのだが、(できればよいスピーカーで)聴こえるか、聴こえないか、ギリギリくらいの、ごく小さな音量で音楽を流すと、音楽がまさに「背景音」なってくれる。これは一つ目の方法よりもより良く背景となってくれて、そしてより心地いい。

(この場合、できれば知らない曲の方が望ましい。YouTubeにあるR &B MixとかChill Mixみたいなやつを流しておくのが良い。)

単純作業にさえ支障をきたすのに、音楽をかけながら本を読むことなど全くできなかったのだけど、二つ目の方法だとそれも可能で、しかも、BGMがないより、ある方が心地よくさえある。静かな夜中に、聴こえるか聴こえないかくらいの音学をかけながら本を読む。こういう経験は今までにあまりなかったので、BGMというのはこういうことだったのか、と改めて思う感じだ。

(今、この文章を、背景に小さな音量で音学をかけながら書いている。つまり、本を読むだけでなく、文章を書くことさえ―この程度の文章であれば―可能なのだ。自分にとってこれは驚くべきことだ。)

カクテルパーティー効果が苦手というのと逆のこととして、朗読が苦手だということがある。朗読を聞いていると、言葉がすぐに背景音になってしまって、言葉(意味)を聞かずに声(音)だけを聞いてしまう。おそらく、声から言葉(意味)に変換することに、大きな負荷が必要なのだろうと思う(ただ、話し言葉の場合―例えばラジオなど―はそれほどではない)。本を読むより朗読を聞く方が楽だろうと思って朗読を聞いても、言葉の意味が何も入ってこないままずいぶん先まで進んでしまっていていることに、ふと気づく。そんなことが何度も繰り返されるのでとても効率が悪い。本を読む方がずっと早いし、楽だ。

(実は、文字を読む=形を言葉に変換することも、そんなに得意ではない。形を意味にするのに一苦労かかる。)