2022/09/19

Netflixで『サイバーパンク エッジランナーズ』、最後まで観たが、ぼくにはダメだった。技術もすごい、背景の分厚い世界観の作り込みも素晴らしい、アクションがすごい、演出もデザインも作画も音楽もかっこいい。そういう点では稀に見る驚くべき作品だと、確かに思う。でも、物語がどうにも受け入れ難かった。

人よりも無理が効く体質の主人公が、無理に無理を重ねて(過剰に負荷のかかるエンハンスメントにより)出世していき、一廉の者にまで成り上がるが、さすがに無理の限界が近づいて来て、それでも痩せ我慢で無理を重ね、限界を越えても大丈夫だと言い張り、周囲の者もそれに気づいて注意するが聞き耳持たず、破滅が目に見えているのに「うおーっ、ど根性見せたるでーっ」とさらに無理を通して、なんとかヒロイン一人を救うことはできたが、仲間諸共自滅する、という話を、面白いと感じることはぼくには難しい。

(勿論、これはとても粗い―-そして悪意ある―-要約で、事の進み行きにはもっと複雑な経緯があるのだが、ざっくりと均すと上のようになってしまう。前半部分―-最初の三話分はすごく良かった―-には好きなシーンやエピソードも多くあるのだけど…。)

アダルト向けの陰惨な話ではあるが、結局、少年マンガの悪いテンプレと同じで、「力の強化」のインフレ的増大を精神論をまぶすことで正当化している。だけどそれはネズミ講と同じで必ず破綻する(無限にエンハンスメントを続けることはできない)。結果として、主人公が自滅することで物語が閉じられるしかなくなる。破滅が二重化されていること(先輩の破滅を目の当たりにした主人公が、自分もそれをさらに拡大して反復することになるという悲劇)によって、物語が単純な一直線のインフレ増大であることは逃れてはいるが。

この作品で特にキツかったのは、主人公の「ど根性主義的精神論」の亢進と「精神崩壊」とが裏表でぴったりとシンクロしているところ。困ったことに、精神崩壊の描写がまた素晴らしいので(目が複数に揺らいでいく表現の、あの、自分が揺さぶられる感覚)、観ているとこちらの精神までシンクロしてやられそうで、うわー、勘弁してほしい、という感じになった。

(精神崩壊の描写は、先輩=メインの時もすごくて、かなりくらった。)

(追記。精神崩壊の描写は、すごいけどキツい、しかし、キツいけどすごい。すごいことは間違いないと思う。)

六話を観終わった時には、先輩の破滅を目の当たりにした主人公とヒロインとが内的に「病んでいく」という展開がくるのかとも思ったのだが(表現が強烈で、ぼく自身が病みそうだったのだが)、この作品では「内面化」は拒否され、先輩の破滅を見た主人公は、より以上に「行動性」への志向を高め、強く出世を目指して行動の可動域を強化することになる。

先輩の破滅のショックで自らの行動不全が起こるのではなく、何かを「託された」と感じ、より強く大きな「能動性」の獲得の方に引き寄せられるというところまでは、まあ納得できるが、その先に「破滅(先輩の反復)」が見えても進みを止めない。母の死や先輩の死によって、主人公の「行動主義と根性主義のカップリング」が完成し、自分を自分に対してブラック企業化する(ブラック企業化した個人は、自分自身の身体や精神を非人間的に扱う)。このような主体性をもつ主人公のいる(このような主人公への批判的点をもたずに、ヒーローとして感情移入の対象とする)物語をするっと肯定することは、ぼくにはできない。というか、単純に観ていてただキツくて、こういうのはもうやめようよ、と思う。この過剰な―-自分自身によって強いられた、精神論と根性主義を基底とする―-能動性への志向は、病むことによる能動性の不全以上に厄介な問題ではないかと思わされた。

(悩んで立ち止まる―-行動を停止する―-ことが出来るというのは、まだ健全なことだ。)

(1)「大人になる=能動性が増加する」という、それ自体は間違っているとは思わない成長物語を、それが、(2)自分を自分に対してブラック企業化することであるかのような過負荷な根性主義として描き出し、その結果、(3)それが自滅へと突き進む道でしかないことを、(それを避ける努力をするのではなく)ほとんど「避けられない運命」のように受け入れてしまう(そのさまを、エッヂの向こう側へと飛び立つ伝説の人であるかのように歌い上げる)、というような物語を、アイロニーをまぶすこともせず無批判に語る感じの作品をするっと受け入れることは、ぼくには抵抗がある。

(それは結局、世界のヒエラルキーを揺るがすことはなく、根性主義の果てで諦めの体制従順に行き着いてしまうのではないか。)

(主人公に過剰な負荷がかけられて、その負荷を、知恵とか策略とかではなく、エンハンスにエンハンスを重ねることでゴリ押し的に――そしてそこにセルフネグレクト的な自己犠牲が乗っかって――力で突破していくという物語を、自分は本当に嫌いなのだな、と、改めて自覚した。)