●『響け!ユーフォニアム』第五話。相変わらず濃すぎて息苦しいくらい。短めの前半に、特にこれと言った出来事はないものの、コンクール前の緊張が高まっていく描写があって、後半、一曲分の演奏場面をまったく省略なしで丸ごと提示して、エンディング曲を挟んで結果発表という展開は、事前に予想した通りなのだけど、それでも目が離せない。
シビアな演出だと思った。一方で、演奏の場面では普段は物語に絡んでこない部員ひとりひとりを登場させて場を与え、結果発表の後も、いろんな人のリアクションのバリエーションを細かく描き分けているのだけど、他方では、コンクールの結果が駄目だった別の高校の黄前の中学時代の友人は、顔さえ映されることなく、黄前たちの演奏がはじまるより前にバスで去ってゆく。そして、鎧塚は、(過去の経緯は全部無かったかのように)結果がよければすべて良しみたいな満面の笑顔だ。いや、さすがにその笑顔は屈託なさ過ぎてちょっと引くなあ、と。コンクール至上主義に対する様々な疑問が描かれつつも、結局は、「結果」がすべてを押し流して行くという流れを、ある意味ではとても辛辣に捉えているとも言える。「スポ根」モノの典型の流れにみえて、関係や力の作用に対する繊細さ、解像度がまるで違っている。ある場を支配する空気(権力関係)の推移のようなものを捉えている。
(鎧塚は、吹奏楽部内の関係性にも、自分の狡さにも無自覚だろう。でも、吉川は、鎧塚の狡さも、吹奏楽部の空気が結局は「結果」によって押し流されてゆくのだということも冷静に認識しているようにみえる。そしてそれを認識した上で、シニカルになるのではなく、自分の意思でその関係や空気の内に参入し、乗っかっている。しかし時には、嫌われ者になることも厭わず---空気に逆らって---状況へと介入するように動く。なんて立派な人なんだ、と。でも、すべての人がそんなに立派な振る舞いは出来ないよね、ということで、主人公が黄前なのだろう。)
北宇治高校吹奏楽部というドメスティックな関係性の強さが、別の学校へ行った中学時代の友人との関係よりはっきりと強くなって、友人との関係を枠の外に押し出してゆく(一期では、ちゃんとこの友人の顔が出ていた)。しかしもう一方で、この関係性の強さは一枚岩ではない。田中先輩が「全国に行きたい」と強く願うことの背景には、おそらく非常に個人的な動機が作用しているようにみえる(しかもそれを隠している)ので、田中先輩はこの集団的な関係性を個人として利用しているともとれる(あの場面で、部長を差し置いて発言することの戦略性)。そもそも、(こちらも、隠された背景を背負った)滝先生こそが、生徒たちを巧みに誘導して自分の目的を果たそうとしているともいえる。
でも、それらをシニカルに、あるいは告発的に描くのではなく、一色には染められない様々な含みがあることを示しつつ、でもまあ、努力して勝ち上がってゆくというのはそう悪い事ではないよね、という肯定感に着地している。これはバランスというか、絶妙な塩梅の問題なのだと思う。様々な、(隠された)欲望と力と関係の綱引きが網目細かく織り込まれていることが、この作品の密度なのだと思うけど、その密度を保ったままで、全体としては(苦さを含んでいても)肯定的な感じの方へ転がせている。単純なイケイケではない形で、能動性への一定の肯定感をつくり出せていると思う。
●何事も起こらないまま緊張がたかまっていく、短めのAパートがすごく好きだ。黄前が、「やばい、怖くなってきた」と言う、マティスの「夢」みたいなフレーミングのカットがすばらしかった。電車の場面はいつもすばらしい。
●演奏の場面で、高坂がソロの演奏の直前に口で「プッ」みたいな音を出すのだけど、これは金管楽器の演奏前では一般的なことなのだろうか。えっ、ここで高坂がタイミングを外したのか、と思ってドキッとした。演奏前に、舞台そでで妙なテンションになってる、みたいな描写もいい。あと、結果発表の場面で松本先生が泣いていた。
(一曲まるまる演奏されると、「三日月の舞」という曲の構成や編曲は、この物語---人間関係や今までの経緯---をふまえてつくられているとしか思えない。)
ニコニコ動画。「【響け!ユーフォニアム2】劇場版と2期の演奏シーンを比較してみた」。左が京都大会で、右が関西大会。原画はけっこう使いまわしている感じ。並べてみるとまた面白い。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29961964