●『響け!ユーフォニアム』、第四回。この作品の曲者性が存分に出ていた。一見、いい話にみえて、実はそんなにいい話ではない。そして、実はそんなにいい話ではないということについて、作品自身が自覚的だ。
傘木と鎧塚のあいだにあった行き違いが解け、二人の仲が修復されたのはよかったとして、二人の仲が修復されたとたん、それまで二人に対して献身的というか、親身になっていた吉川と中川は蚊帳の外に置かれる。この作品では、常に勝者と敗者というか、選別と排除がはっきりしている。とはいえ、ぼくには、傘木と鎧塚の関係よりも、吉川と中川の関係の方がうつくしいように思うけど。というか、事前にそういう風にちゃんと(二話にも三話にも)描かれているというのがこの作品の厚みだ。。
鎧塚のずるさと、傘木の鈍さも、それとしてちゃんと描かれている。二人の関係は、ずるさと鈍さとがパズルのピースのようにぴったり組み合うことによって成立している。そして、それが悪いということでもない(二人はぜんぜん悪い人ではない)。ただ、別にすごくいい話というわけでもない。人の心が持っている打算性---経済性---が、リアルに示されているということだと思う。このシビアでクールな感じがこの作品だ。
(一方で、自分が拒否されたという現実を認めたくないために傘木から距離をとり、もう一方で、楽器をつづけることで傘木とのつながりを確保しておきたいという鎧塚の二重性は、前にも行けないし後ろにも下がれないという苦しい宙吊り状態で、その硬直を破ったのが傘木の鈍感さなのだから、それは結果として---あくまで結果としてであって、最悪の事態を招く可能性もあったのだけど---吉川の繊細な気遣いよりも鎧塚のためになったということになる。)
そして、鎧塚の「ずるさ」について、言わなくてもいいのにわざわざ口にしてしまう田中先輩の弱さのようなものも描かれる。孤高の存在のようでいて、黄前の前では、田中先輩は余計なことをけっこう言ってしまいがちだ。おそらく、「ユーフォニアム」の世界のなかで田中先輩と友達になれそうな人物は黄前くらいしかいないのではないか。頭が良く、そうであるからこそ保身的でやや卑怯な感じさえして(しかし、本音が隠しきれず口から漏れ出てしまうので徹底して保身的にはなれず、保身の戦略を自ら台無しにする)、そして、そのことについての屈折を抱えているという複雑さをもつ黄前だけが、田中先輩の隠された複雑さと釣り合うのではないか。それを感じているから、田中先輩は黄前の前では軽く弱みをみせるのではないか。
(鎧塚の保身的なずるさは、黄前と共鳴するものがある。鎧塚にとって傘木がトラウマだったのは自己保身のためだが、それは、黄前にとって高坂がトラウマだったのと同様だ。黄前が高坂を避けていたのは、ダメ金に本気で悔しがる高坂に対して「まぶしさ」を感じ、しかしその「まぶしさ」はブーメランとなって、「そこそこがんばったことで満足する自分」への自己否定として作用するから、高坂を避けていたと言えるだろう。それが、「まぶしさ」をただ「まぶしさ」としてそのまま肯定することで、感情は反転して高坂に惹かれるようになる、ということだろう。)
(田中先輩が傘木の部活復帰に消極的だったのは、たんに傘木の「鈍さ」が嫌いだっただけかもしれない。鋭い人は、鋭いが故に残酷であらざるを得なかったりするからなあ、と。)
(それにしても、一期の中世古先輩に対しても、二期の鎧塚に対しても、吉川の献身的な愛は報われないのだった。)
●黄前の、「あ」に濁点みたいな「あああ」という演技が絶妙だと思う。『池袋ウエストゲートパーク』の長瀬智也の「めんどくせえ」の、すごく内にこもって屈折したバージョンみたいな感じ。内にこもる屈折感が黄前っぽい。
●吉川から、鎧塚が心配だから一緒に探してと言われて探している時の、あの露骨な「やらされている」感がすごく黄前っぽい。かなり切羽詰った状況なのに、「えー、めんどくさい」感が出ちゃってる。黄前は、基本的に(初期)村上春樹的な、状況に対してデタッチメントである主人公だと言える。ただ、春樹的な(あるいはキョン的な)、アイロニカルな諦観による洗練されたデタッチメントではなく、保身的でめんどくさがり的な、もっさりしたデタッチメントだろう。黄前は、吹奏楽の演奏と高坂のこと以外は基本どうでもよくて、出来るだけ波風が立たないに越したことはないと思っている。しかし、自らの迂闊さ(余計なことをぽろっと言ってしまう)から、結局、めんどうな状況に介入せざるを得なくなる。でも、結果としてその迂闊さこそが彼女に多くをもたらす。そもそも、高坂に対して「本気で全国なんか狙ってたの」みたいな余計なことを言わなかったら、二人の関係は親密なものにならなかったかもしれない。
一期の吉川や二期の中川のように、積極的に状況に介入して動かそうとするのでもなく、高坂のように我が道をずんずん行くのでもない、猫を被った事なかれ主義である黄前が、しかし自らの迂闊さによって、結果として、めんどくさいと思いながらも状況に対して動かざるを得なくなる、というキャラの造形がとても面白い。