●『響け!ユーフォニアム2』第九話。神アニメの神回。一期、二期を通じて積み上げてきたものが炸裂している。物語的な展開としてはありきたりとも言えるが、そこに黄前久美子というキャラが絡むことで複雑な表現になる。田中先輩が母親について「あの人が嫌いというわけではない」と言ったのに対し、すかさず「嫌いじゃないっていいましたけど嫌いなんですよね」と返す黄前にびっくりする。それをここで言えるのかお前は、と。でも、この発言は黄前だから効いてくる。
(「マンガみたいな話ですね」とかも言っちゃってるし……)
その前のAパートで、中川が、コンクールで自分が吹くよりも田中先輩が戻ってきた方が吹奏楽部のためになると言った後に黄前が、「それ、夏紀先輩の本心ですか」と言い、それに対し中川が「黄前ちゃんらしいね」と言う。ここの、普段は猫を被っているけど実はけっこう辛辣な黄前のキャラが、吹奏楽部の人たちにはもう完全にばれている感じもいい。というか、黄前の猫被りガードももはやゆるゆるになってきていて、失言が失言でなくなっている。ああ、黄前は吹奏楽部に溶け込んでいるのだなあ、と。
黄前のゆるゆるの猫被りガードとは違って、田中先輩は完璧な外皮を自分のまわりに張り巡らせている。このガードの内側に入り込めるのは、「嫌いなんですよね」と言ってしまえる黄前だからだろう。田中先輩と黄前が会って話す場面は、歴史的な名場面だと言えると思うけど、でもそれは、この場面だけによって成り立っているのではなく、今までの「ユーフォニアム」のすべての場面があった上で成り立っている。
ここにきて、田中先輩の中世古に対する隠された感情を出してくるところも深いなあ、と。田中先輩がいろいろな多くのことを「押し殺している」感じがすごく出てくる。田中先輩の(絶望の深さからくる)強い自己抑制と完璧な外皮が、黄前という存在に触れることで、一時だけふわっと緩む。でも、それはやっぱり「この時」だけなのだろうな、という感じ。そういう時間の幸福感と切なさ。いや、すばらしい。
黄前と田中先輩の関係だけでなく、黄前と高坂の関係の描写もすばらしい。高坂は、田中先輩にも田中先輩問題にもあまり興味はないらしい。むしろ、黄前が田中先輩について過度に思い悩むことに対して不思議だと感じている。二人きりの帰りの電車のなかで、高坂が沈んだ様子の黄前に「どうして久美子がそんな顔してるの」と問い、黄前が「悔しくて」と応え、「何が」とさらに問う高坂に、黄前が「わからない」と応える(この「わからない」の演技のすばらしさ)。親密な関係でありつつ行き違っている感じが、黄前の抱えるどうにも処理できない感情と、高坂の悪く言えば鈍いとさえ言えるまっすぐさとを、すごく鮮やかに照らし出している。良い場面だと思う。しかも、この場面はすごく短い。
この場面に限らず、多くの場面が、その場面のもっとも鮮やかなところだけを的確に抽出したように短く、しかしそれでいて、名場面集、名セリフ集のようにはならず、配置やリズムや抑揚も考慮されている。すごくテンポが速いはずなのに、強く余韻を残す感じ。
強気キャラの高坂と猫被りキャラの黄前だけど、二人だけの場面になるとむしろ逆転して、黄前が攻めで高坂が受けになることが多い。黄前があからさまに攻めに出るのは、ほぼ高坂と二人の時に限られている。でも、今回はそれがさらに逆転して、高坂が強く攻めにでている。
(高坂は、猫被りガードがゆるくなって失言をあまり失言と思わなくなった黄前に対して、過去の大きな失言を意識させ、うろたえさせる。)
しかし、高坂が黄前に対して蠱惑的に強く攻めに出た直後の場面で、一転して、滝先生に対して純情っぽくデレる場面がくる(滝先生の手に触れてしまった高坂の反応は、動物が逆毛立つみたいな、明らかにオーバーアクトなのだが、これはアニメならではの表現としての見事なオーバーアクトだ)。緩急というか、関係性の変化の自在さ。
で、その場面の後がAパートの締めのごくごく短い、電車のなかで二人きりの場面。ここで、滝先生の机の上の写真の女性を見てしまった高坂は、そちらの方へ心をもっていかれていて、黄前の愚痴など耳に入っていない様子だ。先の、電車で二人きりの時の、黄前が田中先輩問題に心を奪われていたのとは関係が逆になっている。
●今のアニメの表現の高度化は、五十年代の日本映画みたいな感じなのだと思う。