●お知らせ。11月25日(金)の東京新聞、夕刊に、ギャラリーコエグジスト-トーキョーでやっている、井上実展についての美術評が掲載されます。
ぼくは、ここに展示されている作品は現代絵画の頂点の一つを示すものだと思っています。12月25日までやっていて展示期間も長いので、観ることを強くお勧めします。
●『響け!ユーフォニアム』第八話。おお、予想の斜め上をいく展開。「田中先輩問題」と「黄前の姉問題」とをアナロジー的にリンクさせることで、「田中先輩問題」が壁の向こう側へいってしまうことを防ぎ、ぐっと身近に招きよせる。そしてさらに、田中先輩が黄前を自分の家に呼ぶという、キャラにはない意外な行動に出る。ずいぶん攻めてきたという印象。いや、攻めすぎていて、先を観るのが怖い。田中・黄前会談は一体どうなるのか。
基本的に猫を被っているキャラである黄前も、家族と高坂と田中先輩の前でだけは猫を被らないのだし、シニカルでニヒリスティックな田中先輩も、黄前に対しては他の部員とは違って一歩踏み込んだ態度に出ることがしばしばあるという形で、二人の間に何か特別に通じ合う感じがあることは既に描かれているので、この行動(家に呼ぶ)は意外ではあっても、無理がある感じはしない。
コンクール至上主義に対する疑問が様々に描かれながらも、「結果が良かったこと」があらゆる疑問を押し流していくという流れが一方にあるのだけど、それはあくまで吹奏楽部の内部にいる人にとってであって、その周辺にいる人や、その「良い結果」が出る前にそこを離れてしまった人(「良い結果」の近くにいながらも、そこから外れてしまった人)の感情のざわつきは、でた「良い結果」が大きければ大きいほどそれに比例して大きくなるだろう。去年まで弱小だった吹奏楽部が、一年で全国大会出場となると、ざわつかない方がおかしいレベルだ。その第一波として、傘木がいて、その後の大きな波として、田中先輩の母と黄前の姉の行動が顕在化する。
黄前の姉も田中先輩も、家族からのプレッシャー(家族というシビアな権力関係)によって、やりたいことを通せなくなった(通せなくなるかもしれない)という点で同じであり、これは本人の意思ではどうにもならない問題で(姉の意思が弱かったということで済まされる話ではない)、例えば、黄前が家族関係のなかで「その位置」にいなくて済んでいるのは、たまたまであるに過ぎない。そもそも吹奏楽部の「良い結果」だって、(勿論、彼らの努力があってのことではあるが)たまたま滝先生という優秀な指導者が赴任してきた時に吹奏楽部にいたという偶然に依るところも大きい。
(黄前が高校で吹奏楽部に入らなかったとしたら、あるいは、北宇治高校の吹奏楽部が弱小のままだったとしたら、黄前の姉はちゃんと大学を卒業したと思われるのだから、滝先生の優秀さは、様々な方向に影響を広げている。)
(田中先輩にとって、「あの母親」と今後もずっと関係していかなければいけないという問題は、吹奏楽を続けられるのか---全国大会に出場できるのか---という問題よりもずっと大きくてシビアだ。親子関係による作用は、彼女一人の力ではどうにもならない。たんに強権的な親であるのならば、大人になって自立することで逃げることも可能だが、あのように脆いところのある---子供に対する支配に依存する---母親との関係は、大人になったとしても切ることが困難だ---放ってはおけないので、適度な距離を上手くとりつつ付き合うしかない---と思われる。そして、そのような人が自分の親であることは偶然としか言えない。)
(黄前の姉問題については、おそらく、黄前の両親はいろいろ文句をいいながらも最終的には姉の決断を支援することになるような気がする。黄前の姉にしても、田中先輩にしても、自分がどのような親の元に---どのような家族関係の元に---生まれてくるのかは、自分では決められない。)
一定の保留をつけた上ではあるが、努力をすることで良い結果が得られるという能動性への肯定が描かれた後、その反動がこのようにシビアな形で示される。関係のなかで、自分がどの「位置」にいるのかということは、自分の努力(能動性)によってでは決められない、という側面が強く出てくる。まあ、「大きな結果」が得られた後に反動が来るのは物語の定型ではあるのだけど、その定型を作動させる関係性が、とても精密かつリアルに仕込まれていることに驚く、という感じだ。
●田中先輩の母娘関係とは別に、黄前姉妹における、姉妹問題、あるいは、兄弟問題というのはけっこう普遍的な気がする。兄の影響でギターをはじめました、という弟がプロになり、兄はギターをやめてしまっている、みたいな、兄の影響で野球をはじめました、と言う弟の方がずっと才能がある、みたいな、消滅する媒介者としての姉、兄。姉、兄は、必然的にフロンティアであらざるを得ないが、妹、弟は、姉、兄の築いたものを前提にした地点から出発できるというアドバンテージもある。しかし、妹、弟の方からみれば、姉、兄は抑圧者であろう。この時の自分の「位置」もまた、偶発的に与えられるものだ。