●『量子という謎』(白井仁人、東克明、森田邦久、渡部鉄兵)と『「ファインマン物理学」を読む』(竹内薫)をつきあわせて読むと、なかなかわかりやすい。数式の説明なども、一方でさらっと流しているようなところを、他方でかみ砕いて説明してくれていたりして、相補的に読める。これらの本に書かれている数式による説明はあくまで初歩の初歩だろうし、概要を示すものであって、厳密にはもっとずっと難しいのだろうけど、それでも、これらを読むと(バカみたいな感想だけど)量子論というのが数学でできていることを実感できる。
これもまたバカみたいだけど、虚数を含んだ抽象的な数式が、正確に「現実」を予測する、というのはどういうことなのだろうと思う。この世界は、常識や実感よりもずっと数学の方に近いということだろう。多世界解釈で有名なエヴェレットが、「あなたの理論で展開される数学は好きだけど、自分が並行世界の自分へと次々と分岐しているということは直感では理解できない」と言われて、「では、あなたは自分が太陽のまわりを秒速30キロメートでまわっていることなら直感によって感じられるのですか」と答えたという。
(ブラックホールの存在は、アインシュタインの一般相対性理論の---シュヴァルツシルトによる---厳密解から予測された。もし、一般相対性理論が正しければ、必然的にブラックホールが存在するはずだ、と。でも、アインシュタインは、普通の惑星や恒星についてはシュヴァルツシルトの数学に賛成したが、ブラックホールに関しては認めなかった。しかし現在では、ブラックホールが存在することは常識となっている。つまり、天才であるアインシュタインの直観---あるいは信念---よりも、数学の方が正しかった。ここで「正しい」とは、現実のあり様---実験や観測によって得られるもの---を正確に予測した、という意味。天才の直観よりも数学の方が正しかったというのは、量子物理学もそうだ。この宇宙は、人間的であるよりもずっと数学的だ。)
では、実感とか直感というのは何なのか。身も蓋もない合理主義的な科学者なら、それは進化的に獲得された限りなく誤謬に近い暫定的な解の導出法だ、とか言うのだろう。でも、そういう科学者も実感から自由なわけではない。そういえば、羽生善治が「なぜ人工知能は人間には思いつけない手を思いつけるのか」と聞かれて、「人間には防衛本能があるので、無意識のブロックがあってある種の手を本能的に避けてしまうのだけど、人工知能はそれ---生き残るという強迫的な本能、要するに、死への恐怖ということだろう---がないので、その点で思考がより自由だからではないか」と答えている記事を読んで、なるほどと思った。ここは本能というだけでなく、人間に固有な(精神分析的な意味での)欲望も絡んでくると思うけど。
(人間が、誤謬としての実感、あるいは枷としての死への恐怖のなかで生きているということについて、そのことをそれ自体として肯定的に考えることが出来るのだろうかと、物理学系の本を読んでいるといつも途方に暮れる感じになる。)
で、「地球」はここにきてようやく、進化という過程から自由な知性(AI)を生むことができたといえるのかもしれない。
●「羽生善治三冠、人間とAIは対局時の「本能」が違う」
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/16/ai/101900008/?P=1