●ずっと、けいそうビブリオフィルの連載の原稿を書いていたのだけど、次回は、まるまる一回分かけて(作品に触れる前段階の)量子論講義になってしまいそうだ。しかもけっこう数学だ。でも、虚数とか複素数とか共益複素数とか出てくるけど、論理的な展開自体は、中学レベルの数学で分かることしか書いてないはずなので(中二レベルくらいの式の展開や公式が分かれば分かるように書いているつもり)、先入観で拒否しないで普通に論を追う限りそんなに難しくないはず。
(ぼくの理解が間違っていないかどうかが、すごく不安だけど。そもそもぼくが数学を全然得意じゃないので難しいことは書けない。)
でも、これをちゃんとやっておかないと、具体的な作品分析に行けない。
量子論を、ある程度は数学的に掴んでおかないと(あくまで、概略的な「ある程度」であって、厳密なものではないが)、ここで取り上げる作品の重要性を示すことができない。
というか、我々が普段使っている「論理」、あるいは「常識」というものが、古典物理学的なものであるということが、かなり致命的にヤバいのではないかという気がする。もうそれではいろいろ追いつかない。
(重ね合わせの状態---シュレーディンガーの猫が生きているとも死んでいるとも言えない状態---と、古典的状態だけど情報がない場合---猫は、生きている、もしくは死んでいる、のだけど、それを誰も知らない---の違いを、数学的に押さえておくことは重要だと思う。決して経験できないけど、数学としてなら具体的な形として示すことの出来るものがあり、そしてそれが現実にちゃんと効いている、と。そこを見ないと議論がぼんやりしたものになってしまう。)