●昨日の日記で「シュタインズゲート」について書いたことは正確ではなかったかもしれない。「シュタゲ」で主人公の世界(世界線)の移動は、この世界の因果関係を変えるメールを「過去」に送ることによってなされる。つまり「この世界の過去」を変えることで、世界のありようを変える。この時、「過去」を変えるのは主人公本人ではなく、主人公の友人たちである。
主人公は、自分にとって都合のよい世界(まゆりの死なない世界)を実現させるために、他人の過去を変える。この物語の後半は、他人に対して、過去を変えることを承認してもらうための、主人公による説得と努力が主な内容となる。だから、主人公に能動性がないというわけではない。しかしこの能動性はとても妙なものとなる。
「まゆりの死なない世界」は、「この世界」から遠い世界であり、そこにたどり着くまでに主人公は、何度も別の世界(世界線)へのジャンプを繰り返さなければならない。だから、何人もの他人の過去を変えるために、何人もの他人を説得しなければならない。そのため、主人公は何度も過去に戻って何人もの他人を説得する。この能動性はタイムマシンによって繰り返される「複数回の生」によって可能になるもので、通常の人間がもつ「一回の生」では不可能なものだ。
もう一つ、ここで、改変された他人の過去と「まゆりの死」との因果関係はまったく不明である。つまり、AだからBとなり、BだからCとなるのだから、Cに至らないためにもとにあったAを変えるということではないのだ。他人の過去の改変は、ただ「世界(世界線)の移動」のためになされるのであって、直接的な「死の原因」の除去ではない。
運命(まゆりの死)は、「この世界」においては絶対的な「答え」であって、因果関係を越えているので、ある因果系における「死の原因」を除去したとしても「世界」はすぐさま「別の原因」を用意してしまう。だから「別の世界」へとジャンプするしかない。ここでも、通常の能動性とはまったく別の形で世界への関与(というか、別の世界への乗り換え)が描かれている(この点で、よくある「ループ物」とは根本的に違う)。
シュタインズゲート」のおもしろさは、このように、従来の「物語」とはまったく別のルールの上で物語を成立させているところにあると思う。そしてこの「別のルール」は現在、通常の因果関係以上に強いリアリティをもつように思う。